「フリーダ・カーロ 引き裂かれた自画像」 堀尾真紀子著

 

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「二人のフリーダ」

 

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「私の誕生」

これら絵を見て、おどろおどろしい、気味が悪い
と思う方も多いことでしょう。

でも私は、好きです。


フリーダ・カーロ(1907-1954)メキシコの画家。

6歳の時にポリオに罹り、右足に障害を持つ。
18歳の時にバス内で事故に遭い、腹部から子宮を鉄パイプが貫通。
体調の悪化、激痛と戦い続けた生涯。

高名な壁画家の夫、ディエゴ・リベラを持ちながら、
奔放な男性(女性も)遍歴を持つ。
メキシコのみならず、アメリカ、フランスなどの
多くの文化人との華々しい社交の場にも登場していた人。

wikipediaから拾って彼女の略歴を書くとざっとこんな感じでしょうか。

なんとも一般人とはかけ離れた、激動の人生を歩んだ人というイメージです。

フリーダ・カーロ 引き裂かれた自画像」堀尾真紀子著 を読んでみました。

彼女の絵は血まみれ、臓器などとともに描かれた自画像が多いのです。

それは、事故の後遺症による、繰り返される手術と日常にある激痛、
それによる自分の身体、精神への異常なまでの執着が根底にあると思とらわれがちです。

しかし、それでは特殊なバックボーンを持った単に特異性のある芸術家にすぎません。

フリーダ・カーロは、女性に共感を持たれると言われますが、それはなぜでしょう。

女性とは、初潮にはじまり、
生理、出産、流産
そして閉経に終わる
つまりは、血みどろの性ではないでしょうか。

歓喜も悲哀も、女性の一生は血と共にあるといえるでしょう。

女性にとって「私たちの本当の部分」を晒してくれるのがフリーダ・カーロの作品なのではないでしょうか。

必要以上の手術を自ら望んで受けたという背中一面の手術と注射跡。
愛する夫の度重なる情事に当てつけのように奔放だった恋愛遍歴。
ある種ミュンヒハウゼン症候群リストカットを繰り返す虚ろな自己をかかえている人たちと私は、フリーダを重ねてしまうのです。


本の中で、とても印象的だったのは、奔放であり、激高的であり、魅力的であり、華やかであったフリーダが、繕い物をし、家の中を整頓し、花を活け、好みの料理を用意して、愛人の元からなかなか戻らない夫を待つ彼女の日常の部分です。

富も名声も才能もすべて手に入れることができたとしても、女のしあわせの終着点は、「愛する人と過ごす穏やかな時間」に尽きるのではないかとこの年齢になってはじめて思うことがあるのです。

男と女の悲劇は、
男のしあわせの終着点と
女のしあわせの終着点が折り合わないこと。

フリーダがそんな風につぶやいているように思えてならないのです。

フリーダ・カーロは特異であり女性誰でもが共感できる普遍なのでしょう。私が彼女の絵に共感できる部分はそこなのかもしれません。

 

 

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