没後70年 北野恒富 @千葉市美術館

我が家からだとドアツードアで2時間半。そんなに遠い千葉市美術館までわざわざ足を運んだのは、↓がどうしても観たかったから。

www.museum.or.jp

 

日本美術史の授業の中だったと思うけれど、北野恒富のこの絵が紹介されたのがとても印象に残っていました。

f:id:artwriter:20171118223427p:plain 《暖か》大正4年(1915)

赤い襦袢の芸妓さん。なんて淫らで、だけれども下品さを感じなくて。

夢二よりも人の肉感があって。「画壇の悪魔派」と呼ばれるのがわかるような気がします。

いつかは実物を見たいと思いつつ、活躍の場が大阪だったのでその作品の多くが関西に集中しています。今回2時間半といえども日帰り圏内であることが有難いものでした。

 

まずは全体を通してみたのは、黒の色がいいなと思ったところ。墨のグラデーションではなく、恒富の黒の多くは、くどいくらいの黒黒しさ。

美人画鏑木清方上村松園は、一本一本櫛のきちんと通った清潔な黒なのだけれど、恒富の黒は、髪や帯はベタっと塗りつぶしたような黒。それがだらしなく、違うな、退廃的という表現が適当だと思うけれど、画面のどこかに、引きずり込まれていく闇が存在するように思えます。

 

f:id:artwriter:20171118224911p:plain淀君大正9年(1920)

落城の炎の中の淀君の凄惨さ。化けて出るぞ!の勢いです。淀君と言えば、美女なはずですが、生気を奪われた鬼のようですね。小袖を羽織った姿は、不意打ちを狙われた臨場感を演出していますね。

 

上の2点は、正しく「悪魔派」にふさわしい作品ですが、愛らしいものも。

 

f:id:artwriter:20171118225654p:plain《願いの糸》大正3年(1914)

七夕の夜に水を張ったたらいに星を映して針に糸を通すと、願いが叶うという。

まだ幼さが残る顔に浮かぶ切ない表情は、何を願っているのでしょう。きっときっと恋する人との成就を願っているに違いありません。

 

f:id:artwriter:20171118230218p:plain《戯れ》昭和4年(1929)

まあ、なんという構図でしょう。画面のほとんどを多い尽くすうっそうとした緑のもみじ。実物は、舞妓の顔もほんのりと緑に映えています。新しいカメラという機械を覗き込む姿と新緑は、若さが匂い立つようです。

 

偶然にも担当学芸員さんの「市民講座」のレクチャーも受けることができ、鑑賞が深まりました。

 

その他にも、ポスター、挿絵など時代を牽引した恒富のモダンでコケティッシュな様々な作品も楽しめました。

 

 

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