クリスチャン・ボルタンスキー@国立国際美術館

国立新美術館で行われていた当展。
話題になっていたのは知っていたけれど、見逃してしまった。
たまたま来阪していたので、行ってみた。

批評を読んでも、ボルタンスキーについての予備知識がなかったので、どんな展覧会であるか予想がつかず。それもまた良しとして、とにかく素の状態で観てみようと思った。

 

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入口を入ると薄暗い世界に電飾が待ち構えていて、右手には苦しむ男性の姿が映し出された映像。
置かれたヘッドホンを付けてみると、激しく咳き込む音が聞こえる。
私も咳喘息を持っていた経験があるが、咳がひどくなると「死んでしまうのではないか」という不安感に襲われる。
ただでさえ、他人の咳音を聞かされるというのはとても不快なのに、体験から来る恐怖感が「これより先はきっと危険ゾーン」という警鐘を鳴らす。

 

そしてその先は、モノクロの写真の世界が降り注いでくる。

なぜだろう。それらの写真を一見しただけで、ホロコーストの悲劇であると直感する。
古いガラス窓から覗いたようにぼやけた焦点。ユダヤ人特有の顔立ち。

家族と、恋人と、笑い合う写真の主人公たちは、きっと今この世にはいないのだろう。

インスタレーションのあちこちに灯る黒いコードの先の豆電球は、長い人類の歴史の中に、一瞬だけ灯る命なのだろうか。

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《保存室(カナダ)》1988

圧巻は、この大量の衣服が吊るされた壁面。
持ち主を失った服飾品とは、なんと雄弁なのだろう。これを纏っていた人々はどこへ行ったのか、そしてこれらを脱いだ彼らは今、何かを纏うことができているのだろうか。それはまるでアウシュビッツで山積みになった眼鏡の写真を思わせ、恐怖の沼へ引きずり込む。

スイス人たちの顔写真が張られた金属製の箱が整然と並んださまは、死人とはこうやってこの世から整然と整理されて忘れられていくのだということか。

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《黒いモニュメント、来世》2018

暴力的な表現があるわけではない。しかし会場に響く心臓音の中で、生のすぐ隣にありながら、封印している死への扉が開かれ手招きされているような本展。

私にはとても恐ろしく、早くここから立ち去りたい気分にさせられた。

しかし、それは「ここへ来なければよかった」というのとは、また違う。

 

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誰も傷つけない表現とゾーニング

表現の自由と「誰も傷つけない表現」という難しい議論があるようです。

www.j-cast.com

 

ここで私自身の経験から少しお話してみたいと思います。

 

私には15年ほど前、大変身近な人を海の事故で亡くしたという経験があります。

大好きだった海を見るのもつらい心理状況が長く続きました。

海は「誰もが癒される場所」であると捉えられがちですが、その当時の私にとっては「とても傷つく場所」でありました。

 

テレビで海のシーンがあるとそっとチャンネルを替える日々が続きました。

当時「海猿」という映画がヒットしていて、巷に氾濫する映画の情報から身を守るのに苦労をしたことを記憶しています。

私の事情を知らない知人が海に行って楽しかったという話を聞いている間に、つらい思い出がフラッシュバックして震えが止まらなくなったこともありました。

海という一見何でもない表現は、私を傷つけるものとなっていました。

 

そして2011年3月11日。日本中が悲しみに包まれる出来事が起こりました。

その時の海は「誰もが傷つく場所」となりました。

あの時、海という表現はとてもセンシティブな扱いとなりました。

サザンオールスターズの名曲である「TSUNAMI」も微妙な立ち位置になりました。

その一連の動きを見ていて、私は少し遠い心で「私だけが傷ついた時」は誰もケアしてくれなかったのに、「誰もが傷ついた時」には、丁寧に扱ってくれるものなのだな。と感じていました。

 

今年も3月11日が近づいてきました。報道はゾーニングの配慮をしているように思えます。

あの日の出来事が未だにつらい方の為にフラッシュバックが起こりそうな場面の前には予告画像が入ります。

それはとても良い配慮だと思います。

出来る限り傷つく人が出ないように予測して、思いやりが持てる世の中は、本当に素晴らしいと思います。

 

しかし「誰も傷つけない表現」なんてあり得るのでしょうか。

「傷つくこと」は、一人ひとり固有で多岐にわたるものです。

「誰もが」と言い切れる根拠を持つ自信は、私にはありません。

 

人は傷つきながら生きるのではないでしょうか。

そしてその傷を癒しながら進もうとすることが、まさに生きて「いく」ということではないでしょうか。

 

確かに表現の制限も必要ですが、制限は束縛という言葉に置き変わるという危険性はないのでしょうか。

 

ゾーニングも大切ですが、ゾーニングで守り切れない部分もあります。

傷つけられた相手を責めることも一つの方法ですが、瘡蓋を作ろうとする強さを身につけることもまた一つの方法ではないかと思うのです。

 

「優しさ」が「易しさ」であるとしたら、深みのない世の中になってしまいませんか。

 

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私も会田誠先生の講義を受講しましたが・・・?

昨年、私が通信で学んでいた(卒業見込みなので「いる」かな?)大学が主催した「芸術の永遠のテーマ『ヌード』を通して美術史を知る 人はなぜヌードを描くのか、見たいのか。」というテーマの5回完結のオープン講座を受けました。

 

1回ごとに篠山紀信氏、鷹野隆大氏など著名なゲスト講師が招かれました。何よりも会田誠氏のお話が聞けることが楽しみでした。

会田誠氏の「犬シリーズ」「美味ちゃんシリーズ」がなぜ現代アートとして評価を受けているか。正直なところわかりません(でした)。

同性として、女性が凌辱されているような作品は不快です。

でも、それは私の感性。評価を受けて居るのにはそれなりの理由があり、芸術を学んでいる限り「好きか嫌いか」を超えて「解らねばならない」という思いがあったからです。

 

会田氏の講義は、大変興味深かったです。

たしかに一連の作品が好きかと言えば、やはり不快な気持ちは拭えない。けれど会田氏は、エログロを「嫌われるだろうことを予想された上で」制作しているという部分で、確信犯的な、エロとは?グロとは?を問題提起していて、やはり現代アートとしてそこが評価されている部分なのだ。その潔さを私なりに了解できた有益な講座でありました。

 

また鷹野氏の講義も、現代の「腰巻き事件」ともいえる愛知県美術館の顛末について伺うことができ、芸術と猥褻の境界について、個々の感受性や誰かがそれを統制をすることの怖さ、またそれを逆手に取った問題提起の巧妙さなども学ぶことができたのです。

www.webdice.jp

他のゲスト講師もそれぞれの専門に沿って「ヌード」という永遠のテーマを明快に語ってくださり、とても有意義な5回の講座でした。

 

講座終了後数カ月たったある日、全講座をコーディネートされた鈴木芳雄氏にお会いする機会があったので、素晴らしい講座を企画してくださったことにお礼を申し上げる事ができました。

 

その際、鈴木氏は少々浮かない顔をされ「ああ、あれね。もうやらないよ。ちょっと色々あってね。」とおっしゃったのでした。

 

「色々」って一体何だろう?

私と一緒に受講した友人たちもとても感動していたし、受講できなかった友人たちは「来年はぜひ受けたい」と言っていたのに。とその時は釈然としない思いが残ったのでした。

 

つまり、「色々」ってこれだったのですね。

 

2019.3.6 追記

鈴木氏から「色々」についてのご説明がありました。↓

https://twitter.com/fukuhen/status/1103077094467072000?s=21

 

 

www.huffingtonpost.jp

この講座のシラバスです。

air-u.kyoto-art.ac.jp

 この一件、私はこう思います。

 

「学生がシラバスを読んで受講するのは当然。講師がどのような経歴か未知であれば、申し込みをする前、少なくとも受講前には調べておくことは、受講者として最低のマナーである。」

という点で、彼女が「物言い」をいうのはルール違反です。不勉強を恥じねばなりません。

「芸術を学問とするならば、自分の感性とは別の冷静さを持ってジャッジをしなければならない。」

というのが私の信条なので、その点から彼女は「アート好きな女子」で留まるべきで、学問の領域に立ち入るべき人ではないと思います。

 

また、一方で大学側も全くポリシーがない対応だったと感じます。

彼女がここで語っている通り学校側が「セクハラを受けた事実を認めた」のなら、残念なことです。学校は、「これは芸術論であり、セクハラではない。」と毅然として居るべきだったと思います。

 

そして「校舎の立ち入りや学校関係者との接触を禁じる」のではなく、「あなたは芸術を学問として捉えることに未熟であるから、もっと多くの講師に接して学びなさい。」というのが、教育機関としてあるべき姿だったのではないかと思うのです。

 

彼女の感性が、以後の学生からあのように「ぶっ飛んだ素敵な講義」を受講する機会を奪う権利ってあるのかなぁ。

 

 

 

 

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今年の展覧会ー観たもの、行ったもの

今年もあと3日。
年末年始休暇に入る美術館もチラホラ。

今年の美術館詣では打ち止めだと思うので、ここで総決算。
今年行った展覧会(アートシーン)。
一体いくつ?数えてみました。

◎は、純粋に良かったもの。

〇は、気軽に行ったら期待以上だったもの。

1. クインテットⅣ @東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館
2. 装飾は流転する @東京都庭園美術館
3. 堀文子展 @神奈川県立近代美術館葉山 〇
4. ヌード展 @横浜美術館 ◎
5. FACE 2018展 @東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館
6. 熊谷守一展 @国立近代美術館 〇
7. 青山義雄展 @横須賀美術館 〇
8. プラド美術館展―ベラスケスと絵画の栄光 @国立西洋美術館
9. 東西美人画の名作 《序の舞》への系譜 @東京藝大美術館
10. 時代を語る―林忠彦の仕事 @富士フィルムスクエア 〇
11. 至上の印象派展ビュールレ・コレクション展 @国立新美術館
12. セビージャ美術館 @セビージャ 〇
13. ピカソ美術館 @バルセロナ 〇
14. プーシキン美術館展―旅するフランス風景画 @東京都美術館 〇
15. 藤田嗣治 本のしごと展 @目黒区美術館 ◎
16. 横山大観展 @国立近代美術館
17. 夢二繚乱 @東京ステーションギャラリー
18. 長谷川利行展―七色の東京 @府中市美術館 ◎
19. ミラクエッシャー展 @上野の森美術館 ◎
20. ルーブル美術館 @国立新美術館
21. うるしの彩り展 @泉屋博古館
22. 大原美術館
23. 岡本神草の時代展 @千葉市美術館 ◎
24. 小瀬村真美:幻画―像の表皮 @原美術館 〇
25. ショーメ 時空を超える宝飾芸術の世界 @三菱一号館美術館
26. 金魚絵師 深堀隆介展 平成しんちう屋 @平塚市美術館 〇
27. ミケランジェロと理想の身体  @国立西洋美術館
28. チームラボボーダレス @お台場
29. 巨匠たちのクレパス画展 @ 東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館 〇
30. 落合芳幾 @太田美術館 〇
31. キース・へリングが愛した街表参道 @表参道ヒルズ
32. 国立民族学博物館蔵貝の道 @神奈川県立近代美術館葉山館
33. 絵ってとまっているのかな @神奈川県立近代美術館
34. フェルメール 光の王国展2018 @そごう美術館
35. 水を描く @山種美術館
36. イサム・ノグチー彫刻から身体・庭へ @東京オペラシティアートギャラリー ◎
37. モネ それからの100年展 @横浜美術館
38. 藤田嗣治展@東京都美術館 ◎
39. ジョルジュ・ルオー 聖なる芸術とモデルニテ @パナソニック汐留ミュージアム 〇
40. ピエール・ボナール展 @国立新美術館
41. 横山崋山@東京ステーションギャラリー 〇
42. マルセル・デュシャンと日本美術 @東京国立博物館 〇
43. フェルメール展 @上野の森美術館
44. エキゾティック×モダン アール・デコと異境への眼差し @東京都庭園美術館 〇
45. 小倉遊亀展 @平塚市美術館 〇
46. ムンク展  @東京都美術館 ◎
47. ルーベンス展 @国立西洋美術館
48. Lines-線をめぐる表現 @平塚市美術館
49. 小原古邨  @茅ヶ崎市美術館 ◎
50. ウィーン万国博覧会展  @たばこと塩の博物館 〇
51. 東山魁夷展  @国立新美術館 ◎
52. アジアにめざめたら @国立近代美術館
53. 国立トレチャコフ美術館所蔵ロマンティック・ロシア @bunkamuraザ・ミュージアム
54. バレエー究極の美を求めて  @そごう美術館
55. 皇室ゆかりの美術―宮殿を彩った日本画家 @山種美術館
56. サラ・ベルナールの世界 @アルフォンス・ミュシャ美術館 〇
57. さかい利晶の杜 
58. 太陽の塔 内部入館
59. 国立民族学博物館
60. 江之浦測候所 ◎
61. 吉村芳生展 @東京ステーションギャラリー ◎
62. 花魁ファッション @太田記念美術館 〇
63. 土田泰子展 導~ Whereʼ s a will,thereʼ s a way @平塚市美術館
64. 所蔵作品展 5感+1つの感性 絵を見ておしゃべりしよう! @平塚市美術館
65. 越中正人「つまり”please"/Please let me…」 @nca nichido contemporary art

来年も素晴らしいアートシーンに出会えますように。

良いお年をお迎えください。

 

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「マルセル・デュシャンと日本美術」@東京国立博物館

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レディメイドの車輪やベン…いや、《泉》などや、現代美術の教科書に掲載されてる写真とかもいっぱいあって、ミーハー的にワクワクした。授業で習った通りちゃんと「R.MUTT」のサインがある!

 

《チョコレート磨砕器》《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大ガラス)》《瓶乾燥器》とかが、1室に並べられているのは、ただただデュシャン・ワールドの空間が広がっていてかっこいいなと思った。

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ゴーギャンセザンヌっぽい初期の絵画から、キュビズムな絵画も面白い。
この当時の近代絵画の流れをおさらいしているみたいだ。
《階段を降りる裸体 No. 2》は、本当にかっこいい絵だと思う。
こんな乱れた絵の中にも、きちんと美しい裸婦が見えるし、キュビスムはそもそも画期的な発想だと思うけれど、そこに「時間」を持ち込んだというのは天才だとしか思えない。

「視覚」に頼る芸術を否定して、「観念」を持ち込んだというのは
現代芸術を知的な遊びに押し上げた功労者でもあり
難解で敷居の高いものにしてしまった戦犯でもあると思う。
そういう意味でもやっぱりデュシャンはすごい人だ。

 

でもなんでその後に利休や写楽なんだ?
日本美術とのリンクが全く見えなくて無理矢理感満載。
近美がやれば所蔵作品とのリンクもっと意味あるものになったと思うけど。

過去の作品の貸し出しのお礼が云々とか
東博という場所でやる意義とかなんだか大人の事情が見え隠れするんだけれど
周りに人に聞いてもこの試みはかなり不評だ。

デュシャンしゃんと利Qはん」も、キャラとしてなんだかなあ。
便器のストラップとか、車輪の動くミニチュアとかあったら
絶対買いたかった。そういうオリジナルグッズ期待してたのに…。

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ピエール・ボナール展@国立新美術館

ボナールの絵が好きだと思ってたけれど、惹かれる絵はその中で限られてたというのがわかって、自分でもちょっとびっくり。
あんまりグッと来た絵が少なくて、(以前見たものが結構あったせいかもしれないけれど)実はそんなに好きじゃなかったのかも。


ナビ派の魅力は、不穏な空気感。幸せな光景の中にある漠然とした不安定さとか悪意とか。
幸せそうにしているけれど、裏では不倫してるでしょとか、そんな感じの。
めちゃくちゃ裏がありそうなヴァロットンの方がらしいのかな。

そういう意味では、麗しい浴室の裸婦たちの裏に三角関係の果てに自殺した女性の影がある、というのは怖くてナビらしくて、興味深いな。

明るくきれいなボナールの風景画はとっつきやすいだけれど、なんとなくしっくりこないかなぁ…。

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開館15周年 特別展 ジョルジュ・ルオー 聖なる芸術とモデルニテ@パナソニック汐留ミュージアム

厚塗りルオーの宗教画の数々。
明るい色彩と石膏のようにも感じるマチエール。
受難のキリストにも温かさと優しさを感じる。

冒頭のモノクロームの版画にすらルオーの質感が感じられるのが凄い。
「生きるとはつらい業…」「でも愛することができたなら、なんと楽しいことだろう」とは深いタイトル。


監修された後藤新治先生に質問する機会を得たが、ルオーの支持体の多くが紙であるのは、当初は経済的理由だったとのこと。
その後余裕ができてもその支持体を捨てなかったのは、塗っては削ってまた塗っていく制作方法には紙がやりやすかったのではないかとご教授いただいた。
裏は布が貼ってあるので、どんな紙質を使ったかは、
修復を経ないとわからないということ。

以前やはりここでモローとルオーの師弟愛についての展示を見たが、ルオーという人は愛すべき人だったのではないかと全編を通して思った。

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