生誕140年 吉田博展 山と水の風景 @東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館
東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館にて、「生誕140年
吉田博展 山と水の風景」を観てきました。
吉田博(1876‐1950)といえば、故ダイアナ妃やフロイトが愛した木版画で有名ですが、今回は水彩画、油彩画、日本画と多彩な作品が出展されていました。
20代の前半から渡米し、欧米で日本情緒あふれる水彩画が認められました。帰国後、当時日本画壇の中心人物であった黒田清輝と対立。黒田の白馬会に対しての、太平洋画会を立ち上げたひとりでもあります。
当時の黒田とその周辺の権力志向や現代視点で見るとちょっと退屈な外光派に反発を覚える私としては、黒田を殴ったとされる吉田博は、痛快な人物に思えてしまいます。
《帆船 朝》瀬戸内海集(1926年)
新版画と呼ばれる木版画は、その微妙なグラデーションが美しいです。吉田の摺りは、モノによると100回近く色を重ねるそうです。この繊細な表現があってこそ、光や温度、水の動きを情緒豊かに伝えることができるのでしょう。
《フワテプールシクリ》(1931年)
一番好きなのは☝でした。まばゆい光と湿気を含んだインドの熱い空気が伝わるかのようです。窓のアラベスク模様の美しさも秀逸です。
《ヴェニスの運河》(1906年)
夏目漱石が『三四郎』の中で、三四郎と美禰子がある絵について語りあっているシーンがあるそうですが、それがこの絵だといわれています。絵画通ともいわれた夏目漱石ならではのエピソードです。
《雲海に入る日》(1922年)
山岳画家としても名高かった吉田博。自ら登った山々を多く残しています。子供に「穂高」と名付けたほどです。
戦中は従軍画家として3度中国に渡り、新しい画題を見つけたと生き生きと画帳に残していたり、戦後は英語に堪能だったこともあり、進駐軍のサロンとして賑わったりと、ある意味如才のない人だったのかもしれません。
181点ものかなりの見ごたえのある展示。
海や川の水辺の爽やかさ、雪を残した清々しい山々。新宿ビル街のヒートアイランドの中のオアシスのようでした。