「洲之内徹が盗んでも自分のものにしたかった絵」

若いころ、数回所謂「銀座の画廊」というところに足を運んだことがあります。
 
とても見たかった画家を見に行ったこと、
縁のある方の展示を見に行ったこと、
 
たぶんそんな用事だったと思うけれど、
いかにも「絵なんぞ買えそうもない」自分がそこに足を運ぶことの
居心地の悪さからいたたまれなかったという記憶です。
 
とはいえ、もしも大金持ちだったら、
「画廊を経営してみたい」というのが私の叶わぬ夢です。
 
 
伝説の画廊主、画商、美術評論家、洲之内徹(すのうちとおる)。
こんな本を図書館から借りました。

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洲之内徹に特別の興味があったわけでなく、
最近私が興味を持っている画家の作品を
たくさんコレクションしているから、
なんとなく私と趣味が合いそう・・・なんて思っただけです。
 
洲之内徹は、銀座の「現代画廊」を引き継ぎ、
傍ら「芸術新潮」に長く美術エッセイを連載し、
小林秀雄に「いま一番の批評家は洲之内徹だね」と激賞され、
青山二郎から「『芸術新潮』では、洲之内しか読まない」と公言された、
という昭和ピカイチの目利きと言われた人。
 
この本は、彼のコレクションと美術エッセイの抜粋が中心となっています。
 
どうやらピカイチの目利きで、絵に対するのめり具合と同様に、
相当の女性遍歴があった人物らしく、
「葬儀の列席者は、ほとんどがゆかりのあった女性たちがずら~り」
と伝えられたくらいです。
 
芸大在学中、プロレタリア運動に参加し、検挙され、
大戦中は、軍の宣撫班員として大陸に渡っており、
芥川賞候補になりながら、小説家になることを断念した人生。
 
飄々とした風貌のなかに、多くの影を内包した人だったのでしょう。
 
 
こんな一節がありました。
 
「ただ、私は、芸術家はみんな、戦争の中でも、戦争によってそれぞれに自己を育てているはずだと思う。いまとなっては、ひとりの画家が戦争によって何を失ったかではなく、何を得たかが大事なのではないか。
~中略~
戦争も終わりに近い頃、(松田)正平さんは郷里の宇部の炭鉱で採炭夫になっていたが、毎日炭鉱へ通う道端の家の垣根にバラが咲いていて、その美しさが身に染みたのだという。戦争が、正平さんにバラの美しさを教えたのであった。」
 -オールド パア 「帰りたい風景」より-
 
 こういう見方のできる評論家の目というものは、信じられるように思えます。
 

彼の生前のコレクションは丸ごと宮城県美術館に所蔵されているそうです。
いつかは行って、彼のコレクションを丸ごと観てみたいと思っています。
 
洲之内徹が盗んでも自分のものにしたかった絵」は
「浮舟りつが盗んでも自分のものにしたかった本」でした。(笑)
 
盗みはしませんからね。
ちゃんと図書館に返却します。
 
定価3,000円。
手元に置いて繰り返し読みたい本です。
 
 
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