わかりやすいアートなんて
一年ぶりになるでしょうか。
おひさしぶりです。
やっと修士論文を書き終えたので、マイペースで駄文を綴っていこうと思ってます。
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さて、少し前になりましたがNHK「日曜美術館」で「STARS それぞれのデビューから現在」が放映されていましたが、ご覧になりましたでしょうか。
そこで、村上隆氏と李禹煥氏の対談があり、ヘドバンして同意しました。
近年の日本は、「解りやすくさせなきゃいけない」という風潮がある事、専門家が自分の専門で戦うことを辞め入門書ばかり書いている事、それが文化をだめにしているということをお二人が話していました。
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「みんなのためのアート」的なトークや「だれでも楽しく気軽にアートが作れるよ」的なワークショップがあるのですが。
確かにそういうの、楽しいし、否定はしないけど。
それって「アート」?かな。
「アートごっこ」、でしょ。
芸術を英語でいうとアートだけど、ニュアンスとして芸術=アートじゃないよね。
とある公的な団体で、著名な講師の先生から対話型鑑賞の講習を1年間受けて、ボランティアを始めたのだが、挫折して、辞めた。
子どもでも、先入観なく、楽しく、好きなように、自由に、鑑賞をして、自分の意見を好きなように言うことを応援しよう!
というのが、私、ダメだ。
芸術作品(アートとはあえて呼ばない)は、その作家が死ぬくらい考えて、気が狂いそうなぐらいの集中力で、作り上げた作品。
作者の手からリリースされたら自由になるよ、というのはわかるけど。
そんな扱いでいいんかい?
たった5年間だけど美術史を学んでみた経験から、作品の社会的背景、芸術的なコンテクスト知った方が、ずっとずっと豊かに楽しく鑑賞ができることがわかったよ。
どうして日本の美術教育は、それを学ぶ機会を奪っちゃうんだろうか。
ボランティア仲間にそれについて議論吹っ掛けたら
「みんながあなたみたいにおべんきょうがすきじゃないんだよ。」
「子供たちはおべんきょうというだけでアレルギー反応出る子もいるんだよ。」
と言われてしまったよ。
その飲み会で喧嘩をしたくなかったから、持論ひっこめたけど。
それはおべんきょうの楽しさを教えられない大人の責任じゃないか。。。と思う。
そもそもさ、芸術って選ばれた富裕層、知識人のためのものじゃなかったのか?
平等に、誰にでも、開かれた、楽しく、易しいアート。
なんか、それって胡散臭いぜ!
って思わない?