『芸術闘争論』/村上隆
村上隆の良さ
反論を覚悟で言い切ってしまうと、村上隆の良さがわかりません。
ルイ・ヴィトンの美しいバッグの上に村上隆のパンダが描かれたコラボ作品を見て「なんと勿体ない!!」と思ってしまった金槌頭です。
お花やパンダちゃんはカラフルで可愛いとは思うけれど、サブ・カルチャー的。
村上隆の経歴は、東京芸大の日本画家で学ばれていたのに、まるでアニメ作家のようです。
今でこそアニメや漫画はクール・ジャパンの担い手。世界で称賛されていることは私もよくわかっています。
そうはいっても私は、サブ・カルチャーはサブであるからこそ価値があって、メインにならないところがその良さなのじゃないかなぁという感覚からどうも抜け出すことができません。
芸術学を学ぶ学友にそんな話をしていたら「村上隆は一点を見るのじゃなくて、展覧会で村上ワールドに浸ってこそ、その良さがわかるよ。」と助言をされてしまったのでした。
『芸術闘争論』を読んでみる
そんなこんなで村上隆を意識しつつも受け入れられない私は、彼の著書に挑戦してみることにしました。
『芸術闘争論』。この本は、世界の現代アートシーンで成功をおさめた村上隆が、何を考え、何を行って今の地位に立つことができたかという現代アーティストを目指す若者向けのノウハウ本のようなものです。
面白くてあっという間に読んでしまいました。
共感はするけれど、納得はできない。
そんないい方はおかしいですが、正直な意見です。
日本の美術教育の陳腐さ。芸術は清貧を良しとする妄想。現代美術を理解するとはどういうことか。
わかるわかる!!と共感する部分です。
けれど、日本では優れた現代アーティストは生まれにくい。実力のあるものは、漫画やアニメの世界で成功していくから、現代アートに挑戦するものは落ちこぼれだと言い切る点は、村上隆流自虐的表現なのかもしれないけれど、納得はできないのです。
心に残った一節
「人間がどうしても芸術にたどり着かなくてはいけないのはなぜか。たしかなことはわかりませんが、犬ですら遊びを欲するのに、人間は高度な遊びとして精神的なバランスをとる知的なゲームをせずにはいられないからなのでしょう。」(P184)
「芸術家の価値は死後、作品によって決まります。ゴッホやマティス、ピカソのような巨匠ですら作家は作品の奴隷であり、乗り物にすぎません。いわんや、われわれなど言うまでもありません。「人生は短く、芸術は長い」のです。」(P282)
こういう言葉を読むと芸術を生み出せない私などは、せめて芸術を正しく見極め、いいものは「素晴らしいよ!!」と声をあげて称賛していかなくてはと思ったのでした。
村上隆・・・その作品の素晴らしさ、私に理解できるのかなぁ。
いつか村上ワールドを訪問し、自分の感性を試してみたいと思っています。
アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国 @東京ステーションギャラリー
アウトサイダー・アートとは
アウトサイダー・アート(アール・ブリュット)とは、精神疾患者、知的障碍者など正規の芸術教育を受けていない人たちの芸術を言います。
精神疾患を持っていても、ゴッホや草間彌生などは芸術家としての修行過程があるから含まれないのだと個人的には思っています。
今回のアドルフ・ヴェルフリ(1864-1930)は、精神病院入院中に絵画制作を覚え、25,000ページにも及ぶ作品を遺しました。アウトサイダー・アートの巨匠とも呼ばれているそうです。
精神疾患の患者さんには独特の感性があるのでしょうから、そこから紡ぎ出すものも刺激的なものが多いようです。
私は、犯罪学や心理学の方面にも興味がありますが、そもそも正常と異常の境界線ってなんだろうと感じています。
創り手がどんなバックボーンを持っていようが、作品として優れていたらそれで十分なわけで、「アウトサイダー・アート」というカテゴリーをつくる必要性は私にはよくわかりません。
アドルフ・ヴェルフリ
アルコール依存症で犯罪を繰り返す父。貧困の末一家離散。失恋などを契機に精神状態は悪化。幼女暴行の罪を繰り返し、精神病院に入院。そこで、鉛筆と紙を与えられ制作に没頭します。
毎週新しい2本の鉛筆と紙を支給されたそうですが、数日で鉛筆を使い切ってしまい、週半ばからはしょんぼりと過ごしていたそうです。
私は子供のころ、1年間ですら1本の鉛筆を使い切った記憶がありません。
鉛筆を使い切るほどの絵とはどんな絵なのでしょう。
アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国
どの作品も1辺が1m近い新聞用紙に、鉛筆でぎっしりと書き込まれています。うねる帯の中に細かい模様。帯の中には自画像らしき男の顔や鳥や動物らしきモチーフが閉じ込められています。
また、楽譜のようなものと文字もびっしり。
アドルフの中には、言葉と音楽と絵画は並列に進行していたのかもしれません。
はじめはフォークロアな雰囲気もあり、ユーモラスでもあり楽しんで観ていましたが、次第に「面倒くさく」なってきました。
執拗に繰り返される単純なモチーフと帯のようなものが私自身の神経に絡みついてくるような感覚を覚えました。
こういう作品は、少数をじっくりと時間をかけて観たほうが精神衛生上好ましいのかもしれません。
アドルフは冒険記を夢想し、理想の王国を頭の中で築いて、自らが王として君臨していたといいます。
まさに壮大なるイマジネーションの世界。
しかしそこに取り込まれまいと抵抗する私自身は、こちら側の岸にしがみついてもいたのです。
東京ステーションギャラリー - TOKYO STATION GALLERY -
ブリューゲル「バベルの塔」展@東京都美術館
今年の展覧会の話題の一つである「バベルの塔」を観てきました。
金曜日の午前中だというのに、会場である東京都美術館に向かう人がぞくぞく。この調子だと会期ぎりぎりの週末はきっとエライことになりそう。こういう話題の展示は早めに見ておきたいですね。
16世紀のネーデルラント美術
入り口すぐは、16世紀のネーデルラントの彫刻。キリスト教がモチーフの木彫りの作品が7点ほど。偶然そういう作品ばかりが集まったのか、どれも正面で見ることを前提とされていて、背面は平たんになっている。もともとは教会の祭壇などに置かれていたものなのかしら。
その後の展示室は、15~16世紀の絵画。この時代ちょうどイタリアではかのミケランジェロやレオナルド華やかなりしころ。ネーデルラントは美術史上では「北方ルネサンス」などと名付けられています。
宗教画は、キリスト教に詳しくないと難しい分野ですね。けれど今回の展示では、聖人と呼ばれる人の説明が丁寧にキャプションされているので、わかりやすいです。
私は「枝葉の刺繍の画家」(これが作者名です)の作品で対として展示されていた《聖カタリナ》《聖バルバラ》が好きでした。少し冷たい感じの美しい面差しに、細かい服飾の描写。人気の作品みたいです。
のちに宗教画から風景画、肖像画へと画題が展開していく様子がわかります。
絵画は「気候風土」が如実に表れますね。イタリアルネサンスの明るい色調、血色の良い素肌と比べると光に恵まれない地域の色彩はコクのあるヤニのよう。それはそれで独特の雰囲気を醸し出しています。
奇想天外なボス
ヒエロニムス・ボス。はじめてボスの奇怪な小動物の作品を観たとき「鳥獣戯画」のようだなと思いました。何か影響を受けているのかしら?と思い日本とオランダの貿易の歴史を調べてみたことがあります。日蘭の貿易が盛んにおこなわれたのは1600年以降のこと。ボスが活躍する1500年前後とは時代がちがう。
日本では、古来から小動物を擬人化することはよくあったことだけれど、ボス以前のヨーロッパではあまり記憶にありません。
一体、ボスの身に何が起こってあんな絵を描いたんだろう。
奇怪でおどろおどろしい。だけれどちょっとユーモラスで憎めない絵。
ボスに触発されてさまざまなイマジネーションを膨らませていく後継の画家たちが出てくるのは、とてもよくわかりますね。
いよいよバベルの塔
展示室最後はいよいよバベルの塔に向かいます。
ブリューゲルの描いた「バベルの塔」は、2つあります。ウィーン美術史美術館蔵のもの(114×155)と今回来日のもの(60×75)。
想像以上に小さい感じですね。人垣の中に隠れてしまう感じ。
バベルの塔!圧倒!!というイメージではなかったですね。
確かに細かいし、面白い絵だけれど・・・。
私は、前の部屋にあったブリューゲルの細かくて珍妙な感じの版画の方が好きでした。
しかしこの部屋、展示としてはなかなか面白いです。
巨大パネルで「いかに細かいか」を大混雑が予想される展示室でも十分伝わるように工夫されているし、3DCG映像シアターで立体再現しているのも楽しい。
美術館サイドの努力が現れた力作だと思いました。
バベルの塔の高さは510m。
東京タワーよりは高いけれど、スカイツリー(634m)よりは低い。来場の女子高生がこのパネルを見て「バベル、ちっちゃ!」と言いながら通り過ぎたのには笑えました。
浮舟りつのこと
はじめまして
このブログでは、観てきた展覧会、アート関係の書籍の感想などを綴っていきたいと思っています。
ワタクシ浮舟りつは、現在某ミュージアム系サイトでレポーターとして取材記事を書いております。そこでの記事は本名で署名しており、他の場では発表できませんので、ここではレポートしなかった展覧会について触れていきたいと思います。
美術との出会い
私と美術の出会いは、2013年に亡くなった父の影響です。父は普通のサラリーマンでしたが、休日には趣味で油絵を描いていました。
その父に連れられて小学校就学前から美術館にしばしば行っていたものです。もともと空想癖がある子供でしたので、絵の中に描かれたお姫様や綺麗な女の子とお話をしたり、絵の中の風景から物語を作ったり。美術館は小さな私にとって、ファンタジーの世界の入り口だったのかもしれません。
都内の大学生になって、授業が早く終わった日などひとりで美術館に行き出してから、美術館巡りは趣味の一つになっていきました。
ちょっとした後悔
父の死の数カ月前、病床の父とじっくりと話す時間が持てました。父の好きな山並みの見える窓辺で。
父は、「りつは、とうとう僕の絵をほめてくれたことがなかったね。」と笑いました。
私としては、一応ほめていたと思うのですが、いかんせん素人画家の絵です。心から「すごいねー!」と思えなかったところが父に伝わったのでしょうか。そのときチクリと心にちいさな棘が刺さりました。
そして父の死後、父の遺した膨大な数の作品をどうしようかと母と相談しました。母は「邪魔になるから少しだけ残してほどんど捨ててしまおう」と言いました。
では、どれを捨てるか。あれこれと眺めているうちに生前は拙いと思っていた絵も「庭の柿の木を描いている」「この薔薇は今でも庭に咲いている」「地元の海が好きだったんだな」などと父が見つめたモノたちがとてもいとおしく思えてきました。とても簡単に処分できるものではありませんでした。
絵画とは、描き手の目と心が表出した、作家の生きた証でもあるのですね。
再び大学生になる
そんなことがあってから、今まで「好き嫌い」という感覚だけで観ていた絵画をもっとつきつめて勉強したくなりました。
その結果、2016年から某芸術系大学の通信制で美術史を学びはじめました。実にン十年ぶりの女子大生です。ずいぶんと薹がたっていますけれどね。
社会人でもあり、主婦でもあり、母でもある中での勉学は大変ではありますが、日常とは違うスイッチを入れる楽しさもあります。
また、美術館へは学割がきくのでオバサンが「学生1枚!」といって学生証を提示するときの快感はナカナカです。
現在、勉強の必要性から年5~60本は展覧会に行っていますが、行った先からどんどんと記憶も感動もあいまいになってしまいます。せっかくの鑑賞をこのブログを覚書としていけたらと思っています。
拙いブログではありますが、息長く綴っていけたらと思っております。今日はお立ち寄りくださりありがとうございます。これからもお付き合いいただけたらとてもうれしく思えます。良いご縁が結べますように。