昭和のキャバレー王が愛した絵画 コレクター福富太郎の眼 @東京ステーションギャラリー

緊急事態宣言が緩和し美術館が再開された。

今回のコロナ渦中で学んだことは、行こうと思う展覧会はとにかく早く行っとく!ということ。

そこで早速東京ステーションギャラリーに向かった。

 

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芸術史を学べば学ぶほど、当然だけれど作家も生きた人間であり、生活があるのだということを痛感する。
どんな高尚な作品を作り出す作家でも、霞を食べて生きていくことはできない。
作品に経済的な価値を付加してこそ、作品ないしは作家自身が守られる。

福富太郎鏑木清方との出会いは、相思相愛の幸せな出会いだったのだろう。

美人画といえば、上村松園伊東深水などが挙げられるが、私は清方が一番好きだ。

本展で出品された清方作品の中でも、異質に思える《刺青の女》(1913年頃)や《妖魚》(1920年)のようなアウトローな作品にこそ、その上品さがここぞとばかりににじみ出ている。

特に《妖魚》の髪の表現の素晴らしさ。水気を含んだような漆黒の髪が人魚の体に纏わりついている。彼女が今にもその髪を揺すって、水滴を蒔き散らかすように思える。

福富は心ゆくまでこの絵の前に居られる幸せ者だったのだ。

 

清方の絵のそこはかとない色気、ノスタルジックな物語性。
福富の眼もきっとそこに注がれたに違いない。

清方から始まり、清方ゆかりの作家たち、同世代の油彩画など、福富のコレクションは清方の色気や気品に通じる作品が多く筋が通っていて清々しい。

 

福富ほどのコレクターになれば、多くの作家や画商が売り込みに来ただろうに、雑音をはねのけるほどの審美眼と研究心を持ってぶれることがなかったのだろう。

「塩治高貞妻浴」や「お夏狂乱」など同じ主題で作家が異なるものを蒐めているのも面白い。

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以下、好きな作品を徒然と。

 

尾竹竹坡《ゆたかなる国土》
 色彩の美しさと、自然の実りの中で生きる古代人の息づく生命力。

島成園《おんな》
 するすると滑るような黒髪の美しさ。清方の《妖魚》の黒髪が大海の波であれば、《おんな》の黒髪は白糸の滝のよう。

松本華羊《殉教(伴天連お春)》
 自らの運命を悟ったような、また神のもとに召される幸せに酔っているかのような恍惚とした表情とひとつひとつの桜の薄い花びらの表現が悲しいほどに美しい。

 

残念ながら会期半ばで終了してしまった東京国立近代美術館の「あやしい絵」展。
そこで展示されていた作品、また同作家の作品が重複していた。
「あやしい絵」展に行きそびれてしまった方もここでリベンジができる。

福富太郎の人となりに興味を持ったので、ミュージアムショップで『芸術新潮5月号』を買ってみた。

なるほど面白い人だ!
生前にお話してみたかった。

 

 

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