金魚絵師 深堀隆介展 平成しんちう屋@平塚市美術館

平塚市美術館がこの夏休み、異例の長蛇の列。
作家本人が制作に行き詰まった時に金魚を見ていて救われたという「金魚救い」。
以来金魚のモティーフにこだわり続ける。

アクリル樹脂に描かれた作品、彫刻、絵画、インスタレーションと金魚づくし。
今の季節にぴったり。
何よりお年寄り、若者、家族連れと皆いきいきと楽しそうなのが良い!

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奈良美智「My Drawing Room」@原美術館

奈良美智作品。
サブカルっぽくて、カワイイだけで、これ、ゲイジュツ?と懐疑的だった私。
友達には「そう言わずに奈良美智の空間に行ってごらん。考えが変わるから」と苦笑されてた。
昨日原美術館で出会った奈良美智「My Drawing Room」。
いっぺんに虜になった。
少女の頃こんな部屋に憧れてた。
いきなり5歳くらいの私がやって来て、ここに棲みたくなった。
奈良美智の空間ってこういうこと?

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岡本神草の時代展@千葉市美術館 2018.7.7

完成した作品は少なく、草稿、写生、下図が殆ど。逆にそれがとても面白かった。

下図に書き添えられたメモ書きを必死になって読んで見る。
神草の植物のスケッチが秀逸。花々がとても愛らしい。

半襟長襦袢に描かれるハート状の花びらが散っているのもとってもイイな。
この当時の妖しげな美人画が好きだ。
神草が38歳で亡くなり、妻緑が半年後28歳で亡くなるなんて哀しい結末。

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ワークショップ with 特別支援学級生

先日とある美術館で、特別支援学級の中学生のワークショップの手伝いをしてきた。

子供たちについての事前情報を敢えてもらっていなかったが、あとで聞くと障害の重い子供たちと関わってたようだ。
しかし、トラブルはほとんど起きなかったし、彼らとのコミュニケーションも十分とれていた。

彼らは好き嫌いに純粋で、こちらが心を開いておけば、ちゃんと入ってきてくれた。

彼らを日常指導する先生方の言葉が気になってしまった。

”ちゃんとできないと君が恥をかくよ。”
”いつも君はそこができていないんだよ。”
”余計なことをせずに言われた通りにきちんとやりなさい。”
彼らを社会に適応させたい先生方の愛情から出た言葉だと理解できる。

でも、外部から見る私にはそれは息苦しく感じた。

普及課の学芸員さんは、”彼らのあるがままを受け入れることができるのが美術の役割ではないか”と。

彼らへのアプローチは学校教育以外にもいろんなチャンネルがあっていい。
美術もその一つ。

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ミラクルエッシャー展@上野の森美術館 2018.6.12

想像を上回る面白さ!光は影で影は光。
見る人は見られる人で、広がる世界は閉じていた。
この世に完全なる善も、完全なる悪もないということか。

1本1本の線に心の鐘が高鳴る!

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長谷川利行展@府中市美術館 2018.6.3

放浪の画家。

大正の風景に関根の影を追う私。こんなところでも関根に恋する私がいる。困ったものだ。

曲がった建物の垂直線の微妙なバランスに驚愕する。
長谷川は赤を描きたくて、他の色を置いたんじゃないか。
全ては赤のために?いやいや、そのうちに赤を引き立てる白の美しさに惹かれ始める。
新雪のようななんと清らかな白よ!

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「北斎とジャポニスム」@国立西洋美術館

「日本美術、特に浮世絵が近代西洋美術の閉塞感を払拭した」「ジャポニスムがなければ、現代アートは存在しなかった」と信じ込んでいる私です。

ですからこの「北斎ジャポニスム」の企画を聞いて、「よくぞやってくれました!」と大歓迎でした。

 

最近の日本は、どういうわけか「やっぱニッポン最高じゃん!」の風潮が強いですね。自国を誇りにし、愛するというのは当たり前だと思うのですが、「ほら、よその国の人がこんなにリスペクトしているよ。」と他人の評価で自分を再評価するという風潮。奥ゆかしいというか、自分の物差しが持てないというか、そんな昨今に、この企画は絶対にハマること間違いなしだと思っていました。

その読み通り、大混雑の展示会場でした。

 

モネ、ドガセザンヌゴーギャン、メアリー・カサットといった有名どころの作品やエミール・ガレなどのガラス製品ややヴィエイヤール工房などの磁器とそれに影響を与えただろうという北斎の作品を並べての展示です。

ほとんどすべての作品を北斎の作品とリンクしてあるわけですから、それを探し出した苦労たるや頭が下がります。全身で労わってあげたい気持ちです。

その努力を理解しながら、敢えて言わせていただくと、面白くなかったです。この展示。やりすぎです。

 

何点か「この作品とこの北斎は、リンクしているでしょう?」と指摘されれば「あー!ほんとだ!」と楽しむことができます。

しかし、全編になぞ解きをしてしまったら、そのうち感動も薄れ興ざめしてしまいませんか?

美術だけでなく、音楽や文学でも、パクリというか、オマージュというものはつきものです。そうやって先達に学んで進歩があるわけですから。

でもそのオマージュは、秘めておいて、気づいた人が「ねえ、ねえ、もしかしてこれってさぁ・・。」と耳打ちしてほくそ笑む、それがオマージュを知る楽しみでもあるような気がします。

 

最近の美術館は、企画と広報が大変力をつけていると思います。

それにより集客が増えているのは素晴らしいことだと思います。

その一方、エンターテイメント化していますね。

美術の敷居を下げるのは良いことかもしれないけれど、そこに真の感動は生まれるのでしょうか。

気のせいでしょうか、この展覧会、じっくりと足を止めて各作品に見入る人が少なかったような気がします。

わかったふり、観たふりで終わってしまう展覧会に、真の美術ファンが育つのだろうか・・・老婆心かもしれませんが。

 

出口に向かって考えたこと。

当時著作権を主張出来たら、北斎は稀代の財産家になっていたであろうということでした。

 

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