ワークショップ with 特別支援学級生
先日とある美術館で、特別支援学級の中学生のワークショップの手伝いをしてきた。
子供たちについての事前情報を敢えてもらっていなかったが、あとで聞くと障害の重い子供たちと関わってたようだ。
しかし、トラブルはほとんど起きなかったし、彼らとのコミュニケーションも十分とれていた。
彼らは好き嫌いに純粋で、こちらが心を開いておけば、ちゃんと入ってきてくれた。
彼らを日常指導する先生方の言葉が気になってしまった。
”ちゃんとできないと君が恥をかくよ。”
”いつも君はそこができていないんだよ。”
”余計なことをせずに言われた通りにきちんとやりなさい。”
彼らを社会に適応させたい先生方の愛情から出た言葉だと理解できる。
でも、外部から見る私にはそれは息苦しく感じた。
普及課の学芸員さんは、”彼らのあるがままを受け入れることができるのが美術の役割ではないか”と。
彼らへのアプローチは学校教育以外にもいろんなチャンネルがあっていい。
美術もその一つ。
「北斎とジャポニスム」@国立西洋美術館
「日本美術、特に浮世絵が近代西洋美術の閉塞感を払拭した」「ジャポニスムがなければ、現代アートは存在しなかった」と信じ込んでいる私です。
ですからこの「北斎とジャポニスム」の企画を聞いて、「よくぞやってくれました!」と大歓迎でした。
最近の日本は、どういうわけか「やっぱニッポン最高じゃん!」の風潮が強いですね。自国を誇りにし、愛するというのは当たり前だと思うのですが、「ほら、よその国の人がこんなにリスペクトしているよ。」と他人の評価で自分を再評価するという風潮。奥ゆかしいというか、自分の物差しが持てないというか、そんな昨今に、この企画は絶対にハマること間違いなしだと思っていました。
その読み通り、大混雑の展示会場でした。
モネ、ドガ、セザンヌ・ゴーギャン、メアリー・カサットといった有名どころの作品やエミール・ガレなどのガラス製品ややヴィエイヤール工房などの磁器とそれに影響を与えただろうという北斎の作品を並べての展示です。
ほとんどすべての作品を北斎の作品とリンクしてあるわけですから、それを探し出した苦労たるや頭が下がります。全身で労わってあげたい気持ちです。
その努力を理解しながら、敢えて言わせていただくと、面白くなかったです。この展示。やりすぎです。
何点か「この作品とこの北斎は、リンクしているでしょう?」と指摘されれば「あー!ほんとだ!」と楽しむことができます。
しかし、全編になぞ解きをしてしまったら、そのうち感動も薄れ興ざめしてしまいませんか?
美術だけでなく、音楽や文学でも、パクリというか、オマージュというものはつきものです。そうやって先達に学んで進歩があるわけですから。
でもそのオマージュは、秘めておいて、気づいた人が「ねえ、ねえ、もしかしてこれってさぁ・・。」と耳打ちしてほくそ笑む、それがオマージュを知る楽しみでもあるような気がします。
最近の美術館は、企画と広報が大変力をつけていると思います。
それにより集客が増えているのは素晴らしいことだと思います。
その一方、エンターテイメント化していますね。
美術の敷居を下げるのは良いことかもしれないけれど、そこに真の感動は生まれるのでしょうか。
気のせいでしょうか、この展覧会、じっくりと足を止めて各作品に見入る人が少なかったような気がします。
わかったふり、観たふりで終わってしまう展覧会に、真の美術ファンが育つのだろうか・・・老婆心かもしれませんが。
出口に向かって考えたこと。
当時著作権を主張出来たら、北斎は稀代の財産家になっていたであろうということでした。
没後70年 北野恒富 @千葉市美術館
我が家からだとドアツードアで2時間半。そんなに遠い千葉市美術館までわざわざ足を運んだのは、↓がどうしても観たかったから。
日本美術史の授業の中だったと思うけれど、北野恒富のこの絵が紹介されたのがとても印象に残っていました。
《暖か》大正4年(1915)
赤い襦袢の芸妓さん。なんて淫らで、だけれども下品さを感じなくて。
夢二よりも人の肉感があって。「画壇の悪魔派」と呼ばれるのがわかるような気がします。
いつかは実物を見たいと思いつつ、活躍の場が大阪だったのでその作品の多くが関西に集中しています。今回2時間半といえども日帰り圏内であることが有難いものでした。
まずは全体を通してみたのは、黒の色がいいなと思ったところ。墨のグラデーションではなく、恒富の黒の多くは、くどいくらいの黒黒しさ。
美人画の鏑木清方や上村松園は、一本一本櫛のきちんと通った清潔な黒なのだけれど、恒富の黒は、髪や帯はベタっと塗りつぶしたような黒。それがだらしなく、違うな、退廃的という表現が適当だと思うけれど、画面のどこかに、引きずり込まれていく闇が存在するように思えます。
落城の炎の中の淀君の凄惨さ。化けて出るぞ!の勢いです。淀君と言えば、美女なはずですが、生気を奪われた鬼のようですね。小袖を羽織った姿は、不意打ちを狙われた臨場感を演出していますね。
上の2点は、正しく「悪魔派」にふさわしい作品ですが、愛らしいものも。
《願いの糸》大正3年(1914)
七夕の夜に水を張ったたらいに星を映して針に糸を通すと、願いが叶うという。
まだ幼さが残る顔に浮かぶ切ない表情は、何を願っているのでしょう。きっときっと恋する人との成就を願っているに違いありません。
《戯れ》昭和4年(1929)
まあ、なんという構図でしょう。画面のほとんどを多い尽くすうっそうとした緑のもみじ。実物は、舞妓の顔もほんのりと緑に映えています。新しいカメラという機械を覗き込む姿と新緑は、若さが匂い立つようです。
偶然にも担当学芸員さんの「市民講座」のレクチャーも受けることができ、鑑賞が深まりました。
その他にも、ポスター、挿絵など時代を牽引した恒富のモダンでコケティッシュな様々な作品も楽しめました。