片岡球子 面構 @平塚市美術館
最近美術館の老朽化に伴い、各館で設備工事が行われているんだそうです。
神奈川県立近代美術館もその一つで、収蔵物を避難させなきゃいけない。
そんなわけでご近所の美術館に預かってもらったり、展示で貸し出したりしているらしい。
今回の片岡球子の一連の作品も平塚市美術館がしばらく預かってあげているそうで、それでこの展示ができたのだそうです。
美術館(学芸員)と収蔵品はなんだか家(親)と子みたいな関係だなと日ごろ思っているわけで。お母さんが病気で入院しているから、親戚のおばさんの家に子供が預けられているような感じですね。
さて、片岡球子作品。
今までも何点か見たことはあるけれど、そういえば片岡球子だけの展覧会は初めてのような気がします。
球子の作品はすさまじいパワーを持っています。
明治生まれの球子にとって自分の身長よりも大きいであろう画面に大胆な構図でガツンガツン描いている。鮮やかな色で、緻密な文様で。
小学校の先生から始まって亡くなる直前まで大学で教鞭を執っていた103年の人生。
他人には結構厳しい人だったらしい。
他人に厳しくすることってかなりパワーがいることですからね。
それでも作品を見るとどこかユーモラスで大らか。
以前はあまり好きでなかったけれど、最近はいいなぁと思います。
今回気に入った作品は《海〈鳴門〉》《面構 国貞改め三代豊国》。
《海〈鳴門〉》
建礼門院と安徳天皇ですね。いたいけな安徳天皇の表情が悲しい。厳しい鳴門の渦潮が二人を飲み込む怪獣のようです。
《面構 国貞改め三代豊国》
役者絵だから、これは女形ですね。艶めかしい内にどことなく男としての本性が見え隠れするように見えます。豊国はそんな役者を前に困惑しているようにも思えます。
晩年わが町に住まれ、名誉市民になっている球子さん。
一度お会いしてみたかった。
そしてたるみ切ってる私に喝なんぞ入れてほしかった。
運慶展 @東京国立博物館
話題の運慶展。会期終了間際だと確実に混んでくるはず。
今日は土曜日でありながらも、数日前から急な寒さと悪天候で、こんな日ならきっと空いているに違いないと、出かけていきました。
予想通り、待ち時間なし。そこそこ来館者はいたものの、不自由なく見ることができました。
鎌倉時代の仏師と言えば、運慶と快慶。2人は血縁関係にあったと思っていたら、違いました。奈良仏師・康慶の息子が運慶、血のつながらない兄弟子が快慶なのですね。
今回は運慶にスポットが当てられているので快慶の作品は出て居ないのですが、快慶は理想主義的で静的な作風で、運慶は表現過多になるくらいのリアルで動的な作風。ダ・ヴィンチとミケランジェロみたいな対比に思えます。
父康慶から運慶、その息子や弟子へと系譜が繋げられ展示されていますが、やはり運慶は出色に思えます。
仏様やその弟子たち、高僧などそれぞれのお顔が写実的で個性が表れています。
鎌倉時代の仏画や絵巻物など絵画の世界では、あまり肉体的なリアルさが追求されません。でも運慶の彫刻は顔のしわ、血管、筋肉のつき方までリアルです。こんなに目指すものが根本的に違うのはなぜなんだろうと思ってしまいました。
この当時水晶を嵌め込んで目の輝きを生き生きと表現できたことは、まさしく仏に魂を入れるような感覚になるのでしょう。
運慶の今にも動き出しそうな動的な魅力は、ポーズと衣の表現に尽きるのだろうと思いました。
いわゆる「決めポーズ」といった一瞬の動きをとらえたさま。棒立ちではない、屈伸やひねりを加えたポーズは、おそらく弟子などにポージングさせたのではないでしょうか。
また、まるでそこに風が吹いているようにたなびいた衣。挙げた腕から袖が捲れている様子もすごい。衣の動きがその像の内面的性格付けをするほどの重要な要素になっているようです。
さらに近くで見ると、とても精密な衣の文様がかなり残っています。照明が十分でなかった当時のお堂に設置するため、仏像は華やかに彩られていたと聞きます。できた当時はどれほどきらびやかだったのだろうと想像するだけでワクワクします。
運慶。やっぱりすごいです。
八大童子立像のコーナーは10代の男の子の像8体。
まるでジャニーズJr.みたいですね。
それぞれに個性的です。
八大童子立像のうちの制多迦童子。
私の押しメンは彼です。
知的でキリリとしたお顔立ちが素敵です。
ご無沙汰のあいだ
本日こんなメールが来ていました。
(id:artwriter) さま、お元気ですか? |
アートにつぶやく を更新されてから約1ヶ月が経過しました。
はてなブログは、あなたが日々の生活から感じたこと、
ぜひ、はてなブログで、
というわけではないのですが、ご無沙汰しておりました。
この1カ月美術館に行かなかったわけではないのですが、卒論準備に忙しくしておりました。
通学制の普通の大学に通っていた当時は、ゼミの先生は結構緩く、ゼミに顔出して、とりあえず期限までに原稿用紙100枚以上の論文を書けば余裕でパスできました。
ところが現在の通信の大学は指導がきめ細やかなので、大変です。
一応再来年卒業予定にしているので、8月末に卒論の概略をプレゼンし、その1か月後までに、そこで課せられた課題を踏まえたレポートを書かねばなりません。
そんなことでこの1カ月間ご無沙汰してしまったわけです。
私は、ある画家をテーマにしているのですが、作家の年譜と作品リストをまず作成しなければなりません。
そんなもの書籍か図録に載ってるじゃん!なんでわざわざ時間をかけて作らねば・・・と反発する気持ちもあったのですが、頑張って作成しました。
とても大変でしたが、結果、作ってよかったと思いました。
19世紀末から20世紀にかけての日本の作家なのですが、当時美術の世界では、印象派、後期印象派、表現主義、フォービスム、キュビスム、未来派などが日本に一気になだれ込んだ時代。
伊藤博文が暗殺され、大逆事件も起こり、第1次世界大戦も起こる。
松井須磨子が後追い自殺をすれば、芸術家はカフェーで飲んだくれ。
年譜を作ることで時代が浮き彫りになってきます。
また、作品リストを作っていると、代表作は油彩画なのですが、油彩画はほんのわずか。お金がなかったから、画材が買えなかったのでしょうか。15cmにも満たない小さな紙の裏表使ってペンや鉛筆で身近な人々を描いだ素描が作品リストの大変を占めます。
大きな体躯で背中を丸めて描いていた小さな作品にその作家の息吹が聞こえてくるように思えてきました。
担当の先生はそういうことを感じてから論文に入るべきだと思われたのでしょうか。
さすが研究者の助言は適格だと感心した1カ月でした。
長谷川町子美術館
先日私の敬愛するギタリスト、小倉博和さんのライブが行われるので桜新町に行きました。
長谷川町子美術館にも寄ってみることにしました。
桜新町の駅を出ると「サザエさん通り」の旗が!あちこちにイラストやモニュメントがいっぱいです。
商店街では ♪お魚くわえたドラ猫を~♪ がずっと鳴っています。
住民の方々は年がら年中四六時中日曜の夕方のような気分になりませんでしょうか?と心配になります。
サザエさん美術館は原則撮影禁止。
しかし、2階に花沢不動産コーナーがあり、そこではOKです。
現在第3期分譲をやっていまして、私は抽選の結果7丁目5番地に家を持つことができました。
ピンクのドアの緑の屋根が浮舟家です。
塀で囲われた青い屋根がサザエさん宅。5K平屋です。
向こうのピンクの屋根の2階建てがいささか先生宅。どちらも我々分譲の庶民に比べて豪邸ですね。
4コマ漫画の原稿がたくさん展示されており、一つ一つ読んでいくと結構時間がたってしまうくらい。
長谷川町子さんがアシスタントを置かずにすべて自筆で描かれたとのこと。細く、迷いのない線がとても美しい。素描レベルで見ても本当に女性らしい柔らかくすばらしい線を描く方だということが原画を見て感じたことです。
中には切り張りしている作品がいくつかあるのですが、それは新聞連載から単行本に編集し直したものだそうです。
新聞と単行本ではコマの幅が違うので、同じストーリーを切り張りして、伸びた幅分の背景を付け足していたとのことでした。
テレビアニメが有名ですが、昭和30年代からの新聞連載の4コマ漫画。ワカメが泣いただの、カツオが叱られただの。まあ、取るに足らない日常のドタバタを集めた、な~んにもない、どこにでもあるストーリー。しかし、昭和の家族の父が父であり、子が子であった時代の今となっては遠い昔のストーリーなのかもしれません。
『女性画家列伝』若桑みどり著
アルテミジア・ジェンティレツキのレポートを書くために図書館で借りた若桑みどり著「女性画家列伝」。
アルテミジアの章だけ読んで返そうと思ったら、あまりにも面白くて全部読んでしまいました。
昔から女性画家はきわめて珍しく、歴史上名を残した12名をピックアップして紹介しています。私の備忘録代わりにメモを残します。
※没年は出版後亡くなった方は加筆します。
シュザンヌ・ヴァラドン(1885-1938)
アルテミジア・ジェンティレツキ(1593-1652/3)
エリザベート・ヴィジェ・ルブラン(1755-1842)
アンゼリカ・カウフマン(1741-1807)
ケーテ・コルヴィッツ(1867-1945)
上村松園(1875-1949)
ラグーザ・玉(1861-1939)
山下りん(1857-1939)
マリー・ローランサン(1885-1956)
レオノール・フィニ(1918-1996)
ナターシャ・ゴンチャローヴァ(1881-1962)
多田美波(若桑氏との対談)(1924-2014)
この著書は割合古く1985年のもの。
若桑氏といえばイコノロジー関連の著書が多い美術史家で、すでに没故人です。この前、講義を受けた先生が学会で若桑氏を見かけたことがあり、なかなか辛辣でパワフルな方だったと語っておられました。
12人の女性画家の生涯を調べていたら、結局若桑氏自身の人生を振り返るようになってしまったというところが面白い。もちろん12人の女性の人生を知るのも面白かったけれど、それ以上に多田美波氏との対談と40ページにも及ぶ異例の「あとがき」:女性はどのようにして芸術家になったか:の吸引力が凄かったです。
芸大で一時は制作者への道に進もうと思っていた若桑氏の才能ある同性の友人たちは、結局芸術家を全員断念したそうです。
12人の画家たちが成功したのはなぜか。そして若桑氏の友人たちをはじめとして多くの才能ある女性たちは画家を断念したのか。
それは結婚や出産が大きな理由だということ。
では「理解ある男を選べばよい」という意見に対して、離婚経験者である若桑氏はシモーヌ・ヴェーユやボーヴォワールを引いて「恋愛とはそのような選択によってなされるものではないから」と言い切ります。
確かにそう。愛する相手が自分の将来に都合のいい相手であることなど本当に稀なことだから。
その他に女性にとって、肯定的な意味でも否定的な意味でも「父親」の存在がとても大きいとのこと。娘を「人間としての人格」を与えようと教育したかどうか。それが女性の職業観念を大きく形成するのだそうです。
若桑氏はこの著書以降、ジェンダー史の研究にも傾いていったようです。
女性と職業としての芸術。
とても考えさせられる著作でした。
命みじかし 恋せよ乙女 @弥生美術館
大正時代に夭折した画家、関根正二を追っているので、彼の生きた時代の恋愛観を知りたくて、弥生美術館の企画展を観てきました。
弥生美術館は、文京区根津の東京大学に隣接しています。
弥生美術館と隣にある竹久夢二美術館は、鹿野琢見が開設した美術館です。竹久夢二コレクションの展示や挿絵、漫画を中心とした展示公開をしている個性ある美術館です。
この界隈は、夢二が滞在した〈菊富士ホテル〉がかつてあり、笠井彦乃と逢瀬を重ねた場所でもあり、昔から数多くの文豪をはじめとして芸術家ゆかりの場所。都心にありながら、昔ながらの東京の雰囲気を残していて散策するのも楽しそうな場所です。
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/index.html
今回見たのは「命みじかし 恋せよ乙女 大正の恋愛事件簿」。
上は、この展覧会にちなんで出版された書籍です。
マツオヒロミさんがこの展覧会のために描き下ろした山田順子、田村俊子、お葉のイラストも展示され、乙女チックな雰囲気かなとおもいきや、展示されていたものはかなりハードで重く、本格的でした。
恋愛事件簿は(展示順ではなく、書籍掲載順)
平塚らいてう×奥村博史
島崎藤村×島崎こま子
有島武郎×波多野秋子
白蓮×宮崎龍介
佐藤春夫×谷崎千代
藤原あき×藤原義江
澤モリノ×石井漠
岡田良子×竹内良一・杉本良吉
・・・・いやはや、すごいパワーの愛の力です。
彼らの事件簿を当時の新聞の写しや書簡、書、書籍などで追い、会場にびっちりと展示してあり、見応え十分、いや十二分。
有名な平塚らいてう「元祖、女性は太陽であった」の直筆の書や、与謝野晶子の「みだれ髪」の当時出版されていた書籍、白蓮が龍介へ宛て大量の封書の実物もありました。
彼、彼女たちが確かに生き、愛した証が目の前に並べられていることに、強い感動を覚えました。
当時の一般女性は、親が決めた相手と結婚し、婚約中ですら二人きりで逢うことを憚られたといいます。
自由恋愛、自由結婚。それすら革新的だと思われていたものを、不倫、駆け落ち、心中など、どんなに周りから後ろ指をさされたことでしょう。
それでも愛を貫こうとした強さももちろんですが、運命的に出遭った二人とは、引くに引けない強い磁力に押されてしまうものなのかもしれないとも思いました。
平塚らいてうの夫、奥村博史の詩に心打たれました。
黒いといってもブリュネットの妻の髪
二人が結婚したころにはシルクのやうに
やわらかかった妻の髪
同棲五十年に日も近い今は
あらまし輝く白髪となって
一層ぬめのやうなやわらかさを加へて
何にたとへやうもない手ざわり
わたしは日にいくたび妻のこの髪に
手をふれてなでることだらう
妻の髪をなでるたびにおのれの心はなごみ
妻もやさしいまなこをわたしに向ける
妻よ、おたがいなんとしても
せめてもう十年を一層よく生きやうよ
その頃にはほんたうに
世界に平和がもたらされるだろうか
あまりにも 集中して観てしまい、出てくるころには頭痛がおこってしまったほどでした。
レオナルド×ミケランジェロ @三菱一号館美術館
ルネサンスの三大巨匠といえば、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・ブオナローティ、ラファエロ・サンティですが、ラファエロは若くして亡くなったせいか、レオナルドとミケランジェロが比較されることが多いようです。
この2人どっちが好き?と聞かれたら、私はミケランジェロ。彫刻が本当に美しいし、絵画もエネルギーに満ちている。一方レオナルドの描く女性が私はどうも苦手。虚をさまよっているような視線と口角が微妙に上がっているシニカルな笑顔にうすら寒い思いがします。だからモナ・リザは美人に思えないのです。
さて、現在三菱一号館美術館で開催中の「レオナルド×ミケランジェロ展」とても面白かったです。
今回の目玉は、最も美しいとされる2人の素描。
レオナルドの《少女の頭部/<岩窟の聖母>の天使のための習作》(左)とミケランジェロの《<レダと白鳥>の頭部のための習作》。
画力のある人の素描は本当に美しいですね。
解説で面白かったのは素描の描き方の違い。
レオナルドは、左利きだったため左上から右下に下すハッチングで線の重なり(密度といった方が私はわかりやすい)で陰影を表しているけれど、ミケランジェロは、クロスハッチングと言って線をクロスして凹凸を描いているということ。(http://mimt.jp/lemi/02.html に詳しく書いてあります)
また、ミケランジェロのこの作品のモデルは若い男の子だったようで、まつ毛を長くして彼をより女性らしく描き直したのが左下なのだということ。
こういう解説を得ながら鑑賞すると、素描をみることはとても楽しいですね。
今回展示されているものの多くは、切れ端のようなものに構想を練りながら描いていた、ある種落書き的なもの。
練習台とおもえばこそ丸めて捨ててしまいそうだし、紙とペンやチョークなんて劣化しやすい素材なのに…。
そんなものが600年近い時を超えてよくぞこれだけ遺っていてくれたという感動があります。すごい!!
今回のフォトスポットはこちら。
ミケランジェロが途中で投げ出してしまった(顔の部分に大理石の黒い傷が出てきて中断してしまった)ものを、だれかが仕上げたらしい。
《十字架を持つキリスト(ジュスティアーニのキリスト)》1514-1516
この作品、角度を変えて見てみるとキリストの表情がまるで違うところに魅力を感じます。
派手さはないけれど、大作を仕上げる前の素描を見ることで、作家の頭の中を覗き見ているみたいな面白さがある展覧会でした。