命みじかし 恋せよ乙女 @弥生美術館
大正時代に夭折した画家、関根正二を追っているので、彼の生きた時代の恋愛観を知りたくて、弥生美術館の企画展を観てきました。
弥生美術館は、文京区根津の東京大学に隣接しています。
弥生美術館と隣にある竹久夢二美術館は、鹿野琢見が開設した美術館です。竹久夢二コレクションの展示や挿絵、漫画を中心とした展示公開をしている個性ある美術館です。
この界隈は、夢二が滞在した〈菊富士ホテル〉がかつてあり、笠井彦乃と逢瀬を重ねた場所でもあり、昔から数多くの文豪をはじめとして芸術家ゆかりの場所。都心にありながら、昔ながらの東京の雰囲気を残していて散策するのも楽しそうな場所です。
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/index.html
今回見たのは「命みじかし 恋せよ乙女 大正の恋愛事件簿」。
上は、この展覧会にちなんで出版された書籍です。
マツオヒロミさんがこの展覧会のために描き下ろした山田順子、田村俊子、お葉のイラストも展示され、乙女チックな雰囲気かなとおもいきや、展示されていたものはかなりハードで重く、本格的でした。
恋愛事件簿は(展示順ではなく、書籍掲載順)
平塚らいてう×奥村博史
島崎藤村×島崎こま子
有島武郎×波多野秋子
白蓮×宮崎龍介
佐藤春夫×谷崎千代
藤原あき×藤原義江
澤モリノ×石井漠
岡田良子×竹内良一・杉本良吉
・・・・いやはや、すごいパワーの愛の力です。
彼らの事件簿を当時の新聞の写しや書簡、書、書籍などで追い、会場にびっちりと展示してあり、見応え十分、いや十二分。
有名な平塚らいてう「元祖、女性は太陽であった」の直筆の書や、与謝野晶子の「みだれ髪」の当時出版されていた書籍、白蓮が龍介へ宛て大量の封書の実物もありました。
彼、彼女たちが確かに生き、愛した証が目の前に並べられていることに、強い感動を覚えました。
当時の一般女性は、親が決めた相手と結婚し、婚約中ですら二人きりで逢うことを憚られたといいます。
自由恋愛、自由結婚。それすら革新的だと思われていたものを、不倫、駆け落ち、心中など、どんなに周りから後ろ指をさされたことでしょう。
それでも愛を貫こうとした強さももちろんですが、運命的に出遭った二人とは、引くに引けない強い磁力に押されてしまうものなのかもしれないとも思いました。
平塚らいてうの夫、奥村博史の詩に心打たれました。
黒いといってもブリュネットの妻の髪
二人が結婚したころにはシルクのやうに
やわらかかった妻の髪
同棲五十年に日も近い今は
あらまし輝く白髪となって
一層ぬめのやうなやわらかさを加へて
何にたとへやうもない手ざわり
わたしは日にいくたび妻のこの髪に
手をふれてなでることだらう
妻の髪をなでるたびにおのれの心はなごみ
妻もやさしいまなこをわたしに向ける
妻よ、おたがいなんとしても
せめてもう十年を一層よく生きやうよ
その頃にはほんたうに
世界に平和がもたらされるだろうか
あまりにも 集中して観てしまい、出てくるころには頭痛がおこってしまったほどでした。
レオナルド×ミケランジェロ @三菱一号館美術館
ルネサンスの三大巨匠といえば、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・ブオナローティ、ラファエロ・サンティですが、ラファエロは若くして亡くなったせいか、レオナルドとミケランジェロが比較されることが多いようです。
この2人どっちが好き?と聞かれたら、私はミケランジェロ。彫刻が本当に美しいし、絵画もエネルギーに満ちている。一方レオナルドの描く女性が私はどうも苦手。虚をさまよっているような視線と口角が微妙に上がっているシニカルな笑顔にうすら寒い思いがします。だからモナ・リザは美人に思えないのです。
さて、現在三菱一号館美術館で開催中の「レオナルド×ミケランジェロ展」とても面白かったです。
今回の目玉は、最も美しいとされる2人の素描。
レオナルドの《少女の頭部/<岩窟の聖母>の天使のための習作》(左)とミケランジェロの《<レダと白鳥>の頭部のための習作》。
画力のある人の素描は本当に美しいですね。
解説で面白かったのは素描の描き方の違い。
レオナルドは、左利きだったため左上から右下に下すハッチングで線の重なり(密度といった方が私はわかりやすい)で陰影を表しているけれど、ミケランジェロは、クロスハッチングと言って線をクロスして凹凸を描いているということ。(http://mimt.jp/lemi/02.html に詳しく書いてあります)
また、ミケランジェロのこの作品のモデルは若い男の子だったようで、まつ毛を長くして彼をより女性らしく描き直したのが左下なのだということ。
こういう解説を得ながら鑑賞すると、素描をみることはとても楽しいですね。
今回展示されているものの多くは、切れ端のようなものに構想を練りながら描いていた、ある種落書き的なもの。
練習台とおもえばこそ丸めて捨ててしまいそうだし、紙とペンやチョークなんて劣化しやすい素材なのに…。
そんなものが600年近い時を超えてよくぞこれだけ遺っていてくれたという感動があります。すごい!!
今回のフォトスポットはこちら。
ミケランジェロが途中で投げ出してしまった(顔の部分に大理石の黒い傷が出てきて中断してしまった)ものを、だれかが仕上げたらしい。
《十字架を持つキリスト(ジュスティアーニのキリスト)》1514-1516
この作品、角度を変えて見てみるとキリストの表情がまるで違うところに魅力を感じます。
派手さはないけれど、大作を仕上げる前の素描を見ることで、作家の頭の中を覗き見ているみたいな面白さがある展覧会でした。
ベルギー奇想の系譜 @Bunkamura ザ・ミュージアム
渋谷Bunkamuraで、「ベルギー奇想の系譜」を観てきました。
6月にバベルの塔を観に行ったばかりですから、飽きてしまうかな、と思いきや。ワクワクドキドキ楽しい展覧会でした。
ボスを発端として、いったいベルギーはどうしちゃったのだろうと思います。
ヨーロッパの王族たちはこぞってボスの作品を所望したようですが、当時の王様たちは案外保守的ではなかったのでしょうか。
《トゥヌグダルスの幻視》ヒエロニムス・ボス工房 1490-1500年頃
口がラッパみたいで体が玉子型。どんな発想力でこんな生き物が出来上がったのでしょう。
左下のトゥヌグダルスが異界の罪を観て回り、そののち悔悛したという物語を表しているらしいのですが、あまりにユーモラスで罪の恐ろしさをあまり感じません。こんなので道徳的効果があったのでしょうか。
「七つの大罪」シリーズ《邪淫》ピーテル・ブリューゲル(父₎原画1558年頃
「七つの大罪」シリーズと「七つの徳目」シリーズがあります。
意識的な対にしているわけではないらしいですが、それぞれ7つずつの作品があります。
今回は大罪は7点、徳目は4点来ていましたが、圧倒的に大罪シリーズの方が面白いですね。人間にとって罪ほど、悲しく、哀れで、滑稽で魅力的なものはないということでしょうか。
今回の展覧会は、ボスから始まって、ブリューゲル、ベルギー象徴派、表現主義、そしてシュルレアリスムから現代までと、ベルギーのおよそ500年間の奇想をたどるものでした。
《反逆天使と戦う大天使聖ミカエル》ペーテル・パウル・ルーベンス(原画)1621年
フランドルと言えば、フランダースの犬でおなじみのルーベンス。
これもかなり悪魔的な描写です。筋肉モコモコ、ひねりポーズがミケランジェロの影響があるように感じます。
ロップスはほかにもミレーの絵をもじった「毒麦の種を蒔くサタン」など独特のおどろおどろしさの中に美とエロスを感じるものがあり、好きになりました。
最近、フランドル絵画が取り上げられる機会が増えました。
偉い人をお定まりのポーズで描いた肖像画より、このような奇想の作品の数々はより人間の深淵に迫ったもので現代の私たちの感性に訴えかけるものが多いからしれません。
聖徳記念絵画館 in神宮外苑
ずっと気になっていた「聖徳記念絵画館」。
大正15年に完成した建物は美しくて、秋は青山通りからこの建物を見ると銀杏並木が映えてまさしくフォトジェニック。
私はこの正面にある対の一角獣が好き。
大学が近所なので、集中講義で疲れるとふらっとここまで散歩に来ます。
けれど、この絵画館の中に入ったことはなかったので、昼休み時間を利用して入ってみました。
建物に比べ、中の絵画が語られることは少ないので30分もあれば見ることはできるだろうと思っていました。
観覧料ではなく「施設維持協力金」として500円也。
中に入ると右と左に部屋が分かれています。
右と左の部屋には、日本画、洋画おのおの40点ずつの縦3m×横2.5mの同じ大きさの壁画がずらっと並びます。
ここは明治天皇崩御後、明治天皇の遺徳を絵画で物語るように構成されています。
歴史の教科書に出てくるような出来事を絵で確認することの面白さ。今でも名の通っている画家もいれば、当時は著名だったのだろうけれどもすでに忘れ去られている画家。それぞれの絵には奉納者がいて、そのテーマと奉納者の関わり合いを想像したり。そんなことを思いながら観ていたら、本当に面白いだろうなと思いました。
今回心に残った3点。
(画題)御深曾木
(画家)北野恒富
(奉納者)男爵 鴻池善右衛門
御簾の向こうに移る人影と簾の細かさ。精魂込めて描いた気迫が伝わるような作品でした。
さすが鏑木ワールド。遠くからでも引き寄せられる美しさ。高貴ですね。
(画題)岩倉邸行幸
(画家)北蓮蔵
(奉納者)商業会議所連合会
岩倉の病状を心配して、陛下が岩倉邸を訪れる図。当時の人々にとって陛下が自宅においでになるとは勿体ないことだったことでしょう。家人全員が恐縮されている様子が見て取れます。翌日息を引き取った岩倉も本望だったことでしょう。
今回は時間までに戻らなくてはならず、流して観てしまいましたが、次回はもっと時間をかけて入館したいと思いました。
「洲之内徹が盗んでも自分のものにしたかった絵」
とても見たかった画家を見に行ったこと、
縁のある方の展示を見に行ったこと、
たぶんそんな用事だったと思うけれど、
いかにも「絵なんぞ買えそうもない」自分がそこに足を運ぶことの
居心地の悪さからいたたまれなかったという記憶です。
とはいえ、もしも大金持ちだったら、
「画廊を経営してみたい」というのが私の叶わぬ夢です。
伝説の画廊主、画商、美術評論家、洲之内徹(すのうちとおる)。
こんな本を図書館から借りました。
最近私が興味を持っている画家の作品を
たくさんコレクションしているから、
なんとなく私と趣味が合いそう・・・なんて思っただけです。
洲之内徹は、銀座の「現代画廊」を引き継ぎ、
傍ら「芸術新潮」に長く美術エッセイを連載し、
小林秀雄に「いま一番の批評家は洲之内徹だね」と激賞され、
青山二郎から「『芸術新潮』では、洲之内しか読まない」と公言された、
という昭和ピカイチの目利きと言われた人。
この本は、彼のコレクションと美術エッセイの抜粋が中心となっています。
どうやらピカイチの目利きで、絵に対するのめり具合と同様に、
相当の女性遍歴があった人物らしく、
「葬儀の列席者は、ほとんどがゆかりのあった女性たちがずら~り」
と伝えられたくらいです。
芸大在学中、プロレタリア運動に参加し、検挙され、
大戦中は、軍の宣撫班員として大陸に渡っており、
芥川賞候補になりながら、小説家になることを断念した人生。
飄々とした風貌のなかに、多くの影を内包した人だったのでしょう。
こんな一節がありました。
「ただ、私は、芸術家はみんな、戦争の中でも、戦争によってそれぞれに自己を育てているはずだと思う。いまとなっては、ひとりの画家が戦争によって何を失ったかではなく、何を得たかが大事なのではないか。
~中略~
戦争も終わりに近い頃、(松田)正平さんは郷里の宇部の炭鉱で採炭夫になっていたが、毎日炭鉱へ通う道端の家の垣根にバラが咲いていて、その美しさが身に染みたのだという。戦争が、正平さんにバラの美しさを教えたのであった。」
-オールド パア 「帰りたい風景」より-
こういう見方のできる評論家の目というものは、信じられるように思えます。
彼の生前のコレクションは丸ごと宮城県美術館に所蔵されているそうです。
いつかは行って、彼のコレクションを丸ごと観てみたいと思っています。
「洲之内徹が盗んでも自分のものにしたかった絵」は
「浮舟りつが盗んでも自分のものにしたかった本」でした。(笑)
盗みはしませんからね。
ちゃんと図書館に返却します。
定価3,000円。
手元に置いて繰り返し読みたい本です。
没後90年 萬鐵五郎展 @神奈川県立近代美術館葉山館
当時近代日本の絵画に無知だったころ、この絵を一目見て衝撃を受けました。
《裸体美人》(1912)
生命力の塊のような腋毛をもあらわにした半裸の女性。うねるようなタッチと赤と緑の補色の対比。ゴッホとマティスが手を取り合ったような作風です。日本にこれほどまでにフォービスムを吸収した画家がいたのかという驚きでした。それが萬鐵五郎との出会いでした。
その後萬のことを調べていたら、晩年は病気療養のため茅ヶ崎に住んでいたということを知りました。そのためわが近隣の茅ヶ崎市美術館、平塚市美術館、神奈川県立近代美術館にもいくつか所蔵品があります。
現在、神奈川県立近代美術館葉山館にて、「没後90年 萬鐵五郎展」が開催中ですが、先週末館長のギャラリートークがありましたので、それに合わせて行ってきました。
神奈川県立近代美術館の館長は水沢勉氏。近現代日本美術の著名な評論家で、先日は日曜美術館に出演されたばかり。館長のギャラリートークをお目当てに来館されたという方が多数おられました。
水沢館長、素晴らしいトークでした。お話しもお上手ですし、着眼点が鋭く、絵を分析するとはこういうことなのかととても勉強になりました。
《裸体美人》《もたれて立つ人》《宝珠を持つ人》の3作品にスポットを当てての説明でした。
《もたれて立つ人》(1917)
萬は、女性像と自画像を多く描いていますが、そのほとんどは最大の理解者であった「よ志夫人」と自分の「対」であったこと、当時日本の美術界ではヨーロッパからのいろいろな手法(キュビスム、未来派、ドイツ表現主義など)が同時に雑多に入ってきていて、画家たちはその新しい手法に飢えたようにどんどんと吸収していった時期であったこと、萬自身いろいろな手法に挑みながら、常に自らの出発点であった芸大時代の基本に戻りつつ、自分がどれだけ表現の呪縛から自由になれたかの確認をしていったであろうことを説明してくださいました。
トークが終わっても、そのオーラに圧倒され、私もふらふらと館長の問わず語りの館内ウォークについて回ったひとりでした。
展示替えありの400点の出展数。
ものすごく見ごたえのあるものでした。
《風船を持つ女》(1913)
こういう感じのおばさん、どこにでも居そうです。ちょっと怖いけれどユーモラス。会うとお小言を言われそうだけれどなんだか気になる人。《風船を持つ女》とあるけれど、風船、持ってないし。(笑)
変な絵だけれど惹きつけられます。萬の絵はそういう魅力があります。
《水着姿》(1927)
左奥は烏帽子岩ですね。傘は萬の好きな小道具。波をものともせずに座る少女のたくましさ。萬の描く女性はみな力強さがあります。
《雲のある自画像》(1912)
いつもどこか弱々しく陰鬱な自画像と対照的です。
今回は水沢館長のオーラにやられっぱなしで、絵と対峙する心のゆとりがあまりありませんでした。
会期中にぜひもう一度訪れ、萬ワールドに浸りたいと思います。