ジャコメッティ展 @国立新美術館
細長い像
私の中で「あしながおじさん」のイメージは、ジャコメッティの彫刻です。やたらと細長くてボリュームがない彫像。
「あしなが」であることはもちろんなのですが、「姿がみえず、存在があるようでない。実態がないみたいだけれど、妙に存在感がある」それが少女ジュディが想像する「あしながおじさん」のイメージとジャコメッティの彫刻の男性が重なる部分です。
《歩く男》(1959)
ジャコメッティ展
《犬》(1951)
アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966)の作品が大掛かりに展示されるのはあまり記憶にありません。今回は彫刻、絵画、素描など合わせて132点ほどの見ごたえのある展示です。
おなじみの細長い像以外に、キュビスムに格闘しているものもあり、そのなかで「キューブ」(1934/35)が面白かったです。
なんの変哲もなさそうなブロンズの塊をいくつかの断面で切り取っただけのようなもの。「これはなに?」と聞かれても答えに窮するところですが、その断面と断面の角度、像から床につくられた影を眺めているだけで何分もぼんやりしていられるのです。禅問答のような不思議な感覚に陥りました。
《鼻》(1947)は、首から上の口を開け、錐のような鼻を持つ男の像です。友人の死の衝撃からできた作品とのことですが、私は釣りあげられ船に上げられたカジキマグロを連想しました。海の中で生命力を誇っていたカジキマグロの悲壮な声が聞こえるようでした。
「小像」シリーズは、数センチの全身像ですがわずかな凹凸で性別やその人の持つ雰囲気すら醸し出しているのは、すばらしい表現力だと思いました。究極のミニマリズムです。
展覧会中盤の矢内原伊作との交流は、初めて知るところでした。東洋人の持つ独特のフォルム、日本人の忍耐強さや知性がジャコメッティを惹きつけたとというエピソードは興味深いところでした。
彫刻だけでなく、素描もかなり展示されていました。
顔の表情やしわなどは注目されておらず、顔面や人体の立体感を執拗に描き込んでいます。同じ対象を描くとしても、彫刻家の目と画家の目では、明らかに異なるのですね。
ジャコメッティの見つめるもの
ジャコメッティは対象を「見えるとおりに」表現することを追求したといいます。ジャコメッティにとっての「見える通り」とは、こんなに細長い人物なのでしょうか。私のような凡人には、合点がいかないところです。
しかし、私はジャコメッティの作品が好きです。ただひたすらに前を向いて直立している像は、他を拒絶するくらいの静寂と孤独を感じます。その一方でそんな人間の哀しい性を甘んじて受け入れる強さも感じられるからなのかもしれません。
《女性立像》(1959)