ピエロ・マンゾーニってどんな人
イタリアの現代アート
週末受けたイタリアの現代アートの授業。
面白かったです。
現代アートというとニューヨークが話題の中心になってしまうものですが、敗戦国イタリアとなると微妙な含みがあるのですね。
イタリアといえば、古代ローマ時代から文化や芸術の中心であったからかなりプライドが高いはず。
それが大戦では戦場になり国内はボロボロ、新興国(とあえて言う)アメリカから助け舟を出してもらって、北イタリアは復興するのだけれど、内心忸怩たる思いだったでしょうね。
以前19世紀のヨーロッパの名著を読んでいた時、アメリカ人のことを野蛮人呼ばわりしていたのには苦笑してしまったことがあるけれど、経済はともかく、自分たちが牽引していたと思っていた芸術までも、その中心地がニューヨークになってしまったのは、悔しい限りだったことでしょう。
「確かにニューヨークのアートってパワーがあってすごいよ。わかるけどさ、でもさ、なんか反発感じるよね。」という微妙な心理状態を先生は「アンビバレンス」と言われていたけれど、すごく的確な表現だと思いました。
ピエロ・マンゾーニ
さて、そこでピエロ・マンゾーニ(1933-1963)さん。イタリアのアーティスト。
はじめは色のない「アクローム」の連作を作っていて「これがそこにある、それで十分」なんて哲学者みたいなことを言ってました。
それからへんてこりんな試みをいろいろはじめます。
《線》1959年
筒の中に丸めた紙が入っていて、そこには線が書いてある。筒に貼ってあるラベルに「LINE 12.40m」とか書いてあって、紙に書かれた線の長さを示しています。
「線がここに入っています。以上!」
なんだか潔いです。(笑)
《指紋が付いた卵》1960年
自分の指紋を付けたゆで卵を配り、みんなでこれを食べるパフォーマンスを行ったらしいです。「さあ!芸術を召し上がれ!」というところ?
《生きた彫刻》1961年
モデルの肉体に「芸術家であるワタクシがサインをすればあなたもこれで芸術作品です」と意気揚々とサインしています。
まさにマルセル・デュシャン《泉》1917年のパクリ、もといオマージュですよね。
そして極めつけはこれ。
《芸術家の糞》1961年
マンゾーニのナニを30gの缶詰にしちゃった。日々の金のレートと同じ金額で売り出したそうです。今では1000万円近い値がついているとか。
この缶詰を開けましょう!というパフォーマンスを後世行っている人がいるとか。
開けたらもう1重の金属容器が出てきたらしい。
さすがにそれ以上は開けられないですよね。
開けてものすごい匂いと形状だったら・・・と想像するだけで、封印したくなる。本当にナニが入っているのでしょうか。
本当にマンゾーニさんって変わり者。
でも後世、タイ料理を振舞いましょう、市民のみなさんと芸術家が握手します、風景を巨大な布で包もう、なんて芸術は、私の理解を越えています。
その点マンゾーニさんは、「言いたいことはわかるような気がする」という点で、私はアリかな。