私も会田誠先生の講義を受講しましたが・・・?
昨年、私が通信で学んでいた(卒業見込みなので「いる」かな?)大学が主催した「芸術の永遠のテーマ『ヌード』を通して美術史を知る 人はなぜヌードを描くのか、見たいのか。」というテーマの5回完結のオープン講座を受けました。
1回ごとに篠山紀信氏、鷹野隆大氏など著名なゲスト講師が招かれました。何よりも会田誠氏のお話が聞けることが楽しみでした。
会田誠氏の「犬シリーズ」「美味ちゃんシリーズ」がなぜ現代アートとして評価を受けているか。正直なところわかりません(でした)。
同性として、女性が凌辱されているような作品は不快です。
でも、それは私の感性。評価を受けて居るのにはそれなりの理由があり、芸術を学んでいる限り「好きか嫌いか」を超えて「解らねばならない」という思いがあったからです。
会田氏の講義は、大変興味深かったです。
たしかに一連の作品が好きかと言えば、やはり不快な気持ちは拭えない。けれど会田氏は、エログロを「嫌われるだろうことを予想された上で」制作しているという部分で、確信犯的な、エロとは?グロとは?を問題提起していて、やはり現代アートとしてそこが評価されている部分なのだ。その潔さを私なりに了解できた有益な講座でありました。
また鷹野氏の講義も、現代の「腰巻き事件」ともいえる愛知県美術館の顛末について伺うことができ、芸術と猥褻の境界について、個々の感受性や誰かがそれを統制をすることの怖さ、またそれを逆手に取った問題提起の巧妙さなども学ぶことができたのです。
他のゲスト講師もそれぞれの専門に沿って「ヌード」という永遠のテーマを明快に語ってくださり、とても有意義な5回の講座でした。
講座終了後数カ月たったある日、全講座をコーディネートされた鈴木芳雄氏にお会いする機会があったので、素晴らしい講座を企画してくださったことにお礼を申し上げる事ができました。
その際、鈴木氏は少々浮かない顔をされ「ああ、あれね。もうやらないよ。ちょっと色々あってね。」とおっしゃったのでした。
「色々」って一体何だろう?
私と一緒に受講した友人たちもとても感動していたし、受講できなかった友人たちは「来年はぜひ受けたい」と言っていたのに。とその時は釈然としない思いが残ったのでした。
つまり、「色々」ってこれだったのですね。
2019.3.6 追記
鈴木氏から「色々」についてのご説明がありました。↓
https://twitter.com/fukuhen/status/1103077094467072000?s=21
この講座のシラバスです。
この一件、私はこう思います。
「学生がシラバスを読んで受講するのは当然。講師がどのような経歴か未知であれば、申し込みをする前、少なくとも受講前には調べておくことは、受講者として最低のマナーである。」
という点で、彼女が「物言い」をいうのはルール違反です。不勉強を恥じねばなりません。
「芸術を学問とするならば、自分の感性とは別の冷静さを持ってジャッジをしなければならない。」
というのが私の信条なので、その点から彼女は「アート好きな女子」で留まるべきで、学問の領域に立ち入るべき人ではないと思います。
また、一方で大学側も全くポリシーがない対応だったと感じます。
彼女がここで語っている通り学校側が「セクハラを受けた事実を認めた」のなら、残念なことです。学校は、「これは芸術論であり、セクハラではない。」と毅然として居るべきだったと思います。
そして「校舎の立ち入りや学校関係者との接触を禁じる」のではなく、「あなたは芸術を学問として捉えることに未熟であるから、もっと多くの講師に接して学びなさい。」というのが、教育機関としてあるべき姿だったのではないかと思うのです。
彼女の感性が、以後の学生からあのように「ぶっ飛んだ素敵な講義」を受講する機会を奪う権利ってあるのかなぁ。