聖ヒエロニムス

以前ヴェネツィアルネサンスの展覧会に行ったとき、これでもかと主題となって登場した人物「聖ヒエロニムス」。

私のような異教徒は、「誰?このおじいちゃん。」と思ってしまいます。

先ほど出展リストを見返してみたら、45点中ヒエロニムスさんが出てきたのは6点。出現率13%。

そんなに重要な人物なんだろうかと興味が湧いてしまいます。

ヨハネパウロ、ペトロ、マタイとか。詳しくは知らないけれどそのあたりなら聞いたことある人たち。無知な私はヒエロニムスといえば、「ヒエロニムス・ボス」(←聖人じゃないし)しか知らない。(笑)

 

展覧会から帰ったその日さっそく調べてみました。

347年生まれ-420年没。ずいぶん昔の人です。聖書の翻訳をした学者だそうですが、若かりし頃は聖書以外の古典文学や哲学に心を奪われてしまい天使に鞭打たれてしまったそうです。当時は聖書は学問よりも尊かったのですね。

ライオンの足の棘を抜いてあげたという逸話があったり、砂漠の中で隠遁生活をして修業をしたりなど、悔悛後はストイックな人物だったみたいですね。

そんなことで聖ヒエロニムスの絵の中で出てくるものは、本(聖書)、ライオン、髑髏、赤い帽子(高徳の意)。

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ヤコボ・パッサーノ《悔悛するヒエロニムスと天井に顕れる聖母子》

 

この絵もお道具が揃い踏みです。

ライオンも左はじにチラッといますね。

こういうお約束事を知っているか知らないかで鑑賞する楽しさは違ってきてしまうのでしょうね。

絵画の主題を正確に知るために必要な知識だとはいえ、異教徒にはなかなかハードルの高い部分です。

 

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アルテミジア・ジェンティレスキ

女性画家

芸術のあらゆる分野において、女性作家というのは数少ないものです。美術の世界でも例外ではありません。

今でこそ女性の活躍を表すいくつかの指数の中で、女性議員の割合や女性重役の割合を数値化しているけれど、長い美術の歴史で女性作家の占める割合を数値化したら、きっと1%にも満たないのではないかしら。

現代の美術界では、女性作家は珍しくないですが、それもここ50年くらいのこと。

そのせいか、かつての女性作家の生涯は多くの逸話を持つ人が多い。それだけ苦難や偏見の中で生きてきたといえるのかもしれません。

アルテミジア・ジェンティレスキ

美術の通史を学ぶ前は、まったくその存在すらも知らなかったアルテミジア・ジェンティレスキ。名前が難しくてすぐ忘れてしまうのですが、17世紀のイタリア・カラヴァッジョ派の女性画家。

父はオラツィオ・ジェンティレツキで、カラヴァッジョとも交流があった画家。第1子だったアルテミジアは父の工房の中でも、弟たちよりも頭抜けて技量があったらしい。

父の知人であるアゴスティーノ・タッシに師事をすることになります。ところがこのタッシという人物、どうもいかがわしい感じの人。出自を偽ったり、多くの女性から強姦罪で訴えらえています。

アルテミジアも被害者の一人であったようで、父が教会に訴えます。ところがアルテミジアは被害者であるのに、取り調べや検査などで精神的身体的にかなり苦痛を味わわされます。それは拷問とも呼べるもので第2の強姦のようだったとも伝えれています。

そういった経験から、アルテミジアの作品は男性社会への反発や批判が強く表れているといわれています。

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《ホルフェルネスの首を切るユーディット》1612年-1613年

 カラヴァッジョばりの凄惨な絵ですね。いや、それ以上かもしれません。腕まくりして女性が2人がかりで首を斬っているさまは、彼女自身の復讐の気持ちが表れているように思えてなりません。

 

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ラ・トゥール 《大工の聖ヨゼフ》

思い出の名画と題して、まず1枚。

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ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《大工の聖ヨゼフ》1942または45年 137×102cm

子供のころ父の本棚からそーっと取り出しては、好きで眺めていたこの絵。それが図録だったか美術書だったかは思い出せません。

ろうそくの炎のリアルさ。ドラマチックな明暗。炎にかざされたそして幼いイエス(子供のころは女の子だと思っていました)の手の表現。どうしたらこんなにリアルに光を描くことができるんだろうと、何度も何度もこの絵のページに見入っていたことを懐かしく思います。

ラ・トゥールは「夜の画家」と呼ばれる17世紀初頭バロック期に活躍したフランスの画家。ルイ13世のお気に入りだったようですね。カラヴァッジョの少しあと、レンブラントやベラスケスと同じ世代。

 

ラ・トゥールのこの絵も好き。

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《改悛するマグダラのマリア》1635-1638年頃 118×90cm 

マグダラのマリアを描いたものは、限りなくあるけれど、神秘的な静けさを感じるこの作品はとても魅かれます。

 

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ピエロ・マンゾーニってどんな人

イタリアの現代アート

週末受けたイタリアの現代アートの授業。

面白かったです。

現代アートというとニューヨークが話題の中心になってしまうものですが、敗戦国イタリアとなると微妙な含みがあるのですね。

イタリアといえば、古代ローマ時代から文化や芸術の中心であったからかなりプライドが高いはず。

それが大戦では戦場になり国内はボロボロ、新興国(とあえて言う)アメリカから助け舟を出してもらって、北イタリアは復興するのだけれど、内心忸怩たる思いだったでしょうね。

以前19世紀のヨーロッパの名著を読んでいた時、アメリカ人のことを野蛮人呼ばわりしていたのには苦笑してしまったことがあるけれど、経済はともかく、自分たちが牽引していたと思っていた芸術までも、その中心地がニューヨークになってしまったのは、悔しい限りだったことでしょう。

「確かにニューヨークのアートってパワーがあってすごいよ。わかるけどさ、でもさ、なんか反発感じるよね。」という微妙な心理状態を先生は「アンビバレンス」と言われていたけれど、すごく的確な表現だと思いました。

ピエロ・マンゾーニ

さて、そこでピエロ・マンゾーニ(1933-1963)さん。イタリアのアーティスト。

はじめは色のない「アクローム」の連作を作っていて「これがそこにある、それで十分」なんて哲学者みたいなことを言ってました。

それからへんてこりんな試みをいろいろはじめます。

 

f:id:artwriter:20170626214454j:plain《線》1959年

筒の中に丸めた紙が入っていて、そこには線が書いてある。筒に貼ってあるラベルに「LINE 12.40m」とか書いてあって、紙に書かれた線の長さを示しています。

「線がここに入っています。以上!」

なんだか潔いです。(笑)

 

f:id:artwriter:20170626214749j:plain《指紋が付いた卵》1960年

自分の指紋を付けたゆで卵を配り、みんなでこれを食べるパフォーマンスを行ったらしいです。「さあ!芸術を召し上がれ!」というところ?

 

f:id:artwriter:20170626215313j:plain《生きた彫刻》1961年

モデルの肉体に「芸術家であるワタクシがサインをすればあなたもこれで芸術作品です」と意気揚々とサインしています。

まさにマルセル・デュシャン《泉》1917年のパクリ、もといオマージュですよね。

 

そして極めつけはこれ。

f:id:artwriter:20170626215911j:plain《芸術家の糞》1961年

マンゾーニのナニを30gの缶詰にしちゃった。日々の金のレートと同じ金額で売り出したそうです。今では1000万円近い値がついているとか。

この缶詰を開けましょう!というパフォーマンスを後世行っている人がいるとか。

開けたらもう1重の金属容器が出てきたらしい。

さすがにそれ以上は開けられないですよね。

開けてものすごい匂いと形状だったら・・・と想像するだけで、封印したくなる。本当にナニが入っているのでしょうか。

 

本当にマンゾーニさんって変わり者。

でも後世、タイ料理を振舞いましょう、市民のみなさんと芸術家が握手します、風景を巨大な布で包もう、なんて芸術は、私の理解を越えています。

その点マンゾーニさんは、「言いたいことはわかるような気がする」という点で、私はアリかな。

 

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『大正を駆けぬけた夭折の画家 高間筆子幻景』 / 窪島誠一郎

高間筆子とは

私は大正期に夭折した2人の画家、関根正二と村山槐多に強く惹かれるのだけれど、窪島誠一郎はこの2人に高間筆子を加え「大正期の若き天才オリオン」としています。


ときは、大正。ところは隅田の河のほとり。
「丸惣」という石炭運送をいとなむ回漕問屋があったという。

それはたいそう羽振りがよく、子供たちに芸事をさせ、良家子女が通う学校へあげるほどであった。

この家の6人兄弟の4女として生まれた筆子。
踊りの筋はよかったようだが、才気活発ということではなく、特に目立たないどこにでもいる普通の子供だった。

筆子の長兄、惣七には絵の才があり、文展で特賞を得るなど、新進画家として世に出つつあった。
筆子はその兄に誘われるかのように、絵具を得、突然絵画にのめり込むようになる。

気が乗ると幾晩も徹して、キャンバスに向かう。
朝でも夜でも思うところあれば、絵具を押し車に乗せスケッチに出歩く。

髪を振り乱し、裾ははだけ、そのさまは憑き物が憑いたかの如くであったという。

はたちの年に川端画学校に入学してからは、人体デッサンに魅了され、男女の裸体を恥部までも凝視して描き切ったという。その作品は、異性を知らぬ乙女のものとは思えぬほどだった。

迫力あるその画風は、評判を呼び、若き新人女流画家として注目を浴びはじめる。

ちょうどそのころ、多くの人々を死の淵に追いやったスペイン風邪が東京の街を襲う。筆子もその波に飲まれてしまう。

高熱を出し、体力を消耗した筆子は、1922年5月9日、2階から表通りに頭から飛び込むようにして落ちて、命を落とした。
狂気の末か、自死かは、闇の中である。
筆子、21の春のことであった。

失われた作品

このように21歳という短い生涯を閉じた筆子です。

短くも萬鉄五郎をはじめ、多くの人を驚嘆させたという筆子の作品は、じつは現在ただの1点も見つかっていないのです。

関東大震災東京大空襲
この二つの大きな悲劇は、東京下町にあった丸惣を壊滅させたということです。
どうも筆子の作品もそこですべてが焼失したとみられています。

現在の私たちが筆子の絵を知るには、筆子の死を悼み発行された「高間筆子詩画集」に残るのみです。
しかし、それも1度再版されたものの、現在は絶版。
この詩画集でさえ手に入れることは至難のわざということです。


高間筆子
幻の天才画家にセンチメンタルな浪漫を感じるだけでは哀しすぎます。
ある日突然、どこかのお蔵からお宝発掘!

そんな奇跡があることを願ってやみません。

 
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関根正二の生をたどって -2- 日比谷公園

《信仰の悲しみ》

関根正二が第5回二科展にて樗牛賞を受賞した《信仰の悲しみ》。

大原美術館蔵 関根19歳(1918)の作。油彩・画布。70.0×100.0。

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『本作について関根は、東京の日比谷公園で休んでいる時、公衆トイレから、こうした人々の列が金色に輝きながら出現したとし、こう述べている。
「朝夕孤独の淋しさに何物かに祈る心地になる時、ああした女が三人又五人、私の目の前に現れるのです」』

OHARA MUSEUM of ART ― 作品紹介>主な作品の紹介>日本の絵画と彫刻>関根正二 大原美術館作品の紹介ページより

 

このことから関根正二は「幻視の画家」と呼ばれることもあります。

友人である小説家・久米正雄の『鼻を切ったS君』という短編に、その直前の関根の様子が細かく描かれています。

それを読むと蓄膿症の手術後の療養時であったことと失恋の痛手が「幻視」を呼んだのではないかと想像されます。

なにぶん天才肌の19歳の少年。感受性が高じて不安定な精神状態に陥ることはありがちではないでしょうか。

この時期何度も足しげく訪れたという日比谷公園は、関根の生涯の中でも大切な場所に思え、私も出かけてみることにしました。

幻視の舞台は?

現在日比谷公園には6か所のトイレがあります。このどこかで女性たちの幻を見たのでしょうか。

トイレは配管のこともあるから、建物は新しくしても場所はあまり移動しないのではないでしょうか。

 

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すべてのトイレを回ってみました。

①の場所  f:id:artwriter:20170620223639j:plain

関根の家の方向からたぶん一番近いであろうトイレ。公園に入り込んですぐ幻を見たのでしょうか。

 

②の場所  f:id:artwriter:20170620224028j:plain

 

③の場所  f:id:artwriter:20170620224101j:plain

 

②と③は道を隔てて向かい側に建てられています。開放的で開けた感じの場所です。現在の雰囲気では生活感が強く現実的な場所です。

 

④の場所  f:id:artwriter:20170620224400j:plain

草地広場の中にあるトイレ。木立の中に芝生があり、遊具が置いてある広々とした空間。ぞろぞろと女性たちが列をなしているイメージが湧きそうな場所です。

 

⑤の場所  f:id:artwriter:20170620224702j:plain

現在ではあまり雰囲気を感じない場所。いわゆる公園のトイレ。

 

⑥の場所  f:id:artwriter:20170620224832j:plain

大きな大きなヒマラヤ杉が手前にある場所。この木々は当時もあったのでしょうか。うっそうとした木々が霊的と言えるかもしれません。

 

6か所もトイレばかり撮影している変なおばさん。不審者として職務質問されなくて良かったです。(笑)

関根は、どこで金色に輝く人々を見たのでしょうか。

 

せっかく日比谷公園まで来たので、老舗「松本楼」で古き良き味ビーフカレーをいただきました。この「松本楼」は関根が3階の屋根裏に忍び込んで警察に拘留されてしまったという曰く付きの場所でもあります。

f:id:artwriter:20170620225452j:plain 松本楼外観

 

 

 

 
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ジャコメッティ展 @国立新美術館

細長い像

私の中で「あしながおじさん」のイメージは、ジャコメッティの彫刻です。やたらと細長くてボリュームがない彫像。

「あしなが」であることはもちろんなのですが、「姿がみえず、存在があるようでない。実態がないみたいだけれど、妙に存在感がある」それが少女ジュディが想像する「あしながおじさん」のイメージとジャコメッティの彫刻の男性が重なる部分です。

f:id:artwriter:20170619223353j:plain《歩く男》(1959)

ジャコメッティ

f:id:artwriter:20170619232213j:plain《犬》(1951)

アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966)の作品が大掛かりに展示されるのはあまり記憶にありません。今回は彫刻、絵画、素描など合わせて132点ほどの見ごたえのある展示です。

 

おなじみの細長い像以外に、キュビスムに格闘しているものもあり、そのなかで「キューブ」(1934/35)が面白かったです。

なんの変哲もなさそうなブロンズの塊をいくつかの断面で切り取っただけのようなもの。「これはなに?」と聞かれても答えに窮するところですが、その断面と断面の角度、像から床につくられた影を眺めているだけで何分もぼんやりしていられるのです。禅問答のような不思議な感覚に陥りました。

 

《鼻》(1947)は、首から上の口を開け、錐のような鼻を持つ男の像です。友人の死の衝撃からできた作品とのことですが、私は釣りあげられ船に上げられたカジキマグロを連想しました。海の中で生命力を誇っていたカジキマグロの悲壮な声が聞こえるようでした。

 

「小像」シリーズは、数センチの全身像ですがわずかな凹凸で性別やその人の持つ雰囲気すら醸し出しているのは、すばらしい表現力だと思いました。究極のミニマリズムです。

 

展覧会中盤の矢内原伊作との交流は、初めて知るところでした。東洋人の持つ独特のフォルム、日本人の忍耐強さや知性がジャコメッティを惹きつけたとというエピソードは興味深いところでした。

 

彫刻だけでなく、素描もかなり展示されていました。
顔の表情やしわなどは注目されておらず、顔面や人体の立体感を執拗に描き込んでいます。同じ対象を描くとしても、彫刻家の目と画家の目では、明らかに異なるのですね。

ジャコメッティの見つめるもの

ジャコメッティは対象を「見えるとおりに」表現することを追求したといいます。ジャコメッティにとっての「見える通り」とは、こんなに細長い人物なのでしょうか。私のような凡人には、合点がいかないところです。

しかし、私はジャコメッティの作品が好きです。ただひたすらに前を向いて直立している像は、他を拒絶するくらいの静寂と孤独を感じます。その一方でそんな人間の哀しい性を甘んじて受け入れる強さも感じられるからなのかもしれません。

f:id:artwriter:20170619232243j:plain《女性立像》(1959)

 

 

 
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